おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

四年健診(マンモ)とリンパ浮腫について

2021年12月08日 12時51分44秒 | 乳がん
マンモでした。
マーカーは相変わらず。高値で横ばい(微増)。再発の兆候ではないと言われたものの、気分はよくないわ。

骨シンチはオペの月である6月。
マンモは同時にできないからと、半年遅れで今月。(でも翌月やってる人がいるから…多分これは、採血の回数を、増やして再発の兆候をみたいのでは?と予想している。)

これでやっと四年健診クリア。
で、半年後にまた五年健診がやってくる(せわしなーい)

五年ですよ
ブロガーさん見てると五年経てばみんな乗り越えて?元気な生活取り戻してますよ
結婚も子ども産んでる人も居るよ

五年かぁ
全然だよ
乗り越えた、なんて言えなくて。まだ渦中。


そうそう乳首のシール見本を、先生がインプラント側に当てて見せてくれた

忘れてたこの感じ!
乳首!2つ!

シールつくろうかな
タトゥーにしようかな

家と職場がちかくて、知っている人に出会うから温泉諦めてた。

温泉は関係なくとも、やっぱり乳首つくろうかな。
移植すると、また…入院かぁ
移植したら、インプラント入れ替えのとき、乳首はどうなるんだろう?

覚書

リンパ浮腫の事を、気にして生活するのは郭清しているひと。
わたしはセンチネルなので、あんまり気にしなくていいらしい。

そっかーと広島大学乳腺外科のブログをみたら…センチネルでも浮腫になった人がおられたわ…



告知から五年

2021年12月05日 16時30分56秒 | 乳がん
気が付けば、告知から五年。
五年前の12/3に告知。
採卵できる病院探しから、採卵。
髪が抜ける前にウェディングドレスの、試着(着てみたかったから)
抗がん剤
抗がん剤が効かず中止。
ドセタキセルとハーセプチンに切り替え
手術前に、ヌード撮影
手術(全摘、同時に拡張器挿入)
その2年後にインプラント挿入

この間、再発疑惑が数回
婚活して
就活して
パワハラにあい
独り暮らしをはじめたら…
管理会社ミニミニの酷さに、この1年苦しめられている。

五年か、
五年という実感もなくて。
まだ昨日の悪夢の続きを見ているような。
まだ、夢のなかで走り続けているような

叶えたかったこと
まだ
1つもかなえられてない
だけど
いまこうして生きているから
もう、ここからはカウントするのやめてもいいかな?
あと五年こうやって息を潜めて、癌におびえて生きるのはさ、
だってそうやってくらして5年後、47歳。
47からはじめられること。
そんなにたくさんないもの

42のいまここから
また、新しいスタートを切って生きていくの。

いまから
ここから

風は冷たい
でも、夜空をみて、あの時のあの彼をおもって、名前を呼ぶことは、なくなった。(感謝は、もちろんしてる)

そのあとの彼と結婚するのだと思って、希望を繋いで生きてきた

それも、いつしか期待しなくなって。
わたしはここから歩いて行くんだ。
静かに。でも自分の力で。
しっかりと。

緩和ケアとか

2021年07月09日 16時23分01秒 | 乳がん
疲れちゃった

患者であることにも

患者ではなく
経過観察の身分にも

どっちつかず

健康でもなく

病気治療中でもなく

どう振る舞うのが
社会的に受け入れられるんだろ

人のことなんて関係ないとはいえ、

他人と、やっていくためには
わかりやすい方法って大事よね

疲れちゃったよ

彼との会話

2021年07月05日 01時20分26秒 | 乳がん
だってもう、癌治ってるんでしょ?って彼に言われた

う。

まさかそう思っていたとは。

一般的知識のなさ過ぎる人なのが、いいのか
悪いのか

そう、治ったよっていえたら
どれだけいいだろうか

彼と私の四年間
私の背負ってきた四年間

こんなにも
違っていたなんて

ほんとのこと。今言ったら
彼は怖くなるだろうか

乳がんの経過は十年と言われていること

でも私はハーツー乳がんだから5年経てばひとまず区切りともいえること

ほんとはハーツー乳がんって悪性度が高いこと
ほんとは、抗がん剤が効いてなかったこと

だから、高額な自由診療を今も受けていること

そして、この四年間…
ほんとは何度か再発疑いがあったこと…
遺伝子検査、悩んで悩んで悩んで受けたこと

全部全部ぶちまけたくなる

そして、何一つ言えずに諦める

わたしは、

ほんとのこと

いつ言えるのかな

彼とのこと

関係

はじめる前から
あきらめてたから
今更、普通の関係になんて
なれない

元々あきらめてたから。


命日

2021年06月22日 23時11分15秒 | 乳がん
四年前の今日だったね
わたしは、退院したばかりで。
新しい道を歩くんだって
意気込んでた。
晴れた日だったなぁ。
昼下がりだったっけ?
友人からメールが来てそのことを知った。

愕然とした。

同時期に同じ病気で、同じような治療を、していたから。

彼女のブログは、わたしには辛すぎて。
何もかも全てを賛同することはできなかった。
テレビをつけると、彼女を賞賛する言葉ばかり。
違和感を覚えた。
彼女の、人となりは知らないけれど、彼女の報道から逃げたくて逃げたくて、でも逃げられなくて傷ついた気持ちが宙に浮かんだままだった。

いまは、彼女の気持ちもすこしはわかる。
それくらいの、月日が、経った。

訃報を知らせてくれた友人も、ことしの年明けに旅立った。

旅立ってから、もうあうことはないけれど
私は彼女と毎日話してる

むしろ、ずっと近くにいる、

どんどん色濃く思い出す。

忘れられたときが本当の死なのかも知れない

そうだとしたら

あの時の彼は私のこと思い出してくれるかな

訃報を聞いて、連絡をくれて
やっと会えたんだよね

それが最後になった。
かれは、彼の中から
私を消したんだ。


彼女の命日が、報道されるたびにわたしのこと、頭の片隅に浮かべてくれるかな

なんて…よからぬ考えなのかしら。

みんな幸せでありますように。