おっぱいとわたし 2016.12.3右乳癌告知 HER2(3+)ホルモン陰性浸潤径1.5cmステージ1

告知時、37歳独身 卵子凍結済
時々糖質制限、栄養療法ネタあり😸

12月17日再検査結果報告

2017年01月24日 23時50分28秒 | 告知と治療方針
すべての再検査クリア(本当にほっとした)

・乳首裏の癌1.3cm
・リンパ転移なければ、ステージ1
・子宮筋腫24.8cm


【主治医より】
サプリ→証拠のないものは悪く作用するかもしれないから、飲まないで
落ち込んでただけでは、よくならない。
スタッフみんなでサポートするから大丈夫。
採卵のことなどで、つらいけど、今しかできないからね。
抗がん剤やるところにも、専任スタッフがいる。
普段の生活ができるように、治療をするわけだから、まず生活を立て直して。
採卵を何度もするなら、手術先行も可能。

骨シンチと支援相談室 12月8日

2017年01月24日 23時27分12秒 | 告知と治療方針
骨シンチは放射線物質を注射して1時間後に撮影。その間病院の外をウォーキング。
注射がいたかっただけで、検査自体は、楽勝。不眠傾向だった私は、この検査の間寝てました。CTも取ってた。。。

たまたま、フラッと立ち寄った支援室(普通は要予約。)ソーシャルワーカーさんと話ができる。

結婚願望、彼との関係、主治医との関係(この時点で治療病院をまだ決めかねていた)、採卵のこと、胸が全摘になるかもしれないこと、抗がん剤で容姿が変わること。すべてについていけていない・・・。精密検査の結果次第では、治療がしっかりできないこと・・・たくさん話した。

「精密検査結果まちの10日を不安まみれで過ごすか。どう過ごしても々10日」
「上手に不安をかわして、生活することに意識を向けて」
「Drの非言語コミュニケーションに振り回されない。きついことを言ったとしても、その言い方でなく、事実に目をむけて」

当時の日記

・正解無いけど、後悔したくない。
・前日に彼に連絡を取りたい旨、姉に相談→姉より「命に比べたら小さいこと」「連絡取りたい、話したいで十分」「支えてくれる人は1人でも多いほうがいい」「どうするかは相手が決めること」「友人として支えてくれるだけでもいいわけで」
的確なアドバイスに心が決まる。

彼に愛してるって伝えよう。

治療前検査に引っかかる 12月7日

2017年01月24日 23時09分11秒 | 告知と治療方針
ハーセプチンは心臓に負担のかかるお薬です。
事前に新機能のチェック。

抗がん剤を始める前に感染症のチェックをします。
B肝感染履歴があると、免疫が下がったときにそのウイルスが活動し、命にかかわります。

というわけで、告知後そのまま、各種検査を行った私。

その結果が12月7日にでた。(その間、採卵してくれる病院探しとメンタルクリニックの先生に、結果報告と採卵先への紹介状依頼&受診など、怒涛&あわただしく過ごす)

・心電図異常波形(心理的なものかも)→再検査・肺レントゲン異常なし
・やや貧血
・血糖値やや高め(食欲不振でたべてないのに)
・B肝抗体値あり【ウイルスがあるか再検査】
※これは母子感染or予防接種の針連続使用(私の年齢だと可能性あり)の2つだろうと思われる。なぜなら、私は卒後入職先が大学病院でその際にもこの値がでていた→高齢まで処女だったので性的な接触ではない。
母がキャリア(たまたま、無料検査を受けに行ったら判明)。かかりつけ産婦人科医の推測では、母が出産時に、(親戚の産院だったので、だまってこどもにワクチンを打った。)もしくは母子感染した際に私が抗体を作った・・・のかも。当時はB肝に対して偏見があったから、母子手帳に記載しなかったのかも。母親本人にも言わなかったのかも。
今となっては私が生まれた産院の先生はなくなっており、病院も今や無いので確かめようがない。・・・姉も父も感染してないのにね。私だけ(T_T)

・腫瘍マーカーが少し高い→骨シンチやる(転移の可能性あり)

ここで精神的に奈落の底に落ちた私。

転移してるかも知れず、心臓の機能と肝臓の様子によっては、ベストな治療が受けられないのかも・・・。と結果が出るまで。とても不安な日々を送る。

さらに。B肝を彼にうつしてたらどうしようとあせる。→抗体ができてるなら、まずあり得ないと技師さんに教えてもらう。→その後、問題なし。

主治医へ採卵先への紹介状依頼と、現在の進捗状況の報告

【この日の質問】
治療期間はどのくらいか?

「ハーセプチンは1年間(点滴治療が1年間)通常は10年病院に通う。ホルモン治療をやるならば5年内服(妊娠できる環境が整えば、薬辞めることを考えれば?結婚したら2年たったら辞めてこづくりに専念したら?)」

転移があれば、もっと治療は続くからその結果をみて採卵するか決めてもいいね。

【主治医より】
・ちゃんと寝て食べること。採卵するにせよ基本的な生活ができてないと。
精神科の先生に薬を処方してもらい、寝てください。

治療方針 12月3日

2017年01月24日 22時51分07秒 | 告知と治療方針
つくづく今振り返っておもうのは、

最初から、先生の話を【了解を取った上で】録音しておいてよかったということ。

【理由】
気が動転して、話が頭に入らない。
話を聞いただけでは、飲み込めない。
時間がたつにつれて忘れる(または、本で読んだ知識と混じる)
何がわからないかが、わからない(自分の知識が増えるにまして、実感)

何度も何度も、録音を繰り返して聞くと、理解違いをしていたり、先生の言葉の印象で理解していたことが、冷静になって聞くと、理解できたり。
(先生がいらいらしてる~。で、質問を重ねることができない。→後から聞くと、先生が考えて治療方針を立てていることが、よくわかり、治療に理解と納得ができる)

私は、頭が悪いことも手伝って。すぐ忘れるor覚え違いをする。
時間がたって、「あれ?なんかおかしい」術前化学療法は抗がん剤だけなのか、分子標的も対象なのか、どっちだっけ?とわからなくなる。

カタカナの専門用語についていけない等。



【治療方針】

・浸潤癌のため、全身療法が必要
・化学療法が必要。
・HER2陽性の乳がんにはハーセプチンというよい薬がある。
(6から7割の人に効果がある)
・術前化学療法で、効果を確認しながら治療を進める
【病巣を取る前なので、癌が縮小するかどうかが、みてわかる→OPするとこれが「ない」わけで、効果がみてとれない。

※抗がん剤 AC療法を2週間に1回【メリット:通常は3週間に1回だが、2週間に1回だと、早く終わる。その方が治療効果が高いことがわかっている】

ハーセプチンとタキサンをそのあとに行う。【リンパ転移なければ、タキサンやらなくてもいい。→リンパ転移なかったが、その時Drは「やっぱり抗がん剤の効果でタキサンやるかどうか、決めよう。とのこと】

計6カ月

※ハーセプチンは1年やると自筆のメモあり。治療計画を再度確認すること


その後手術【画像上、縮小・消えてれば温存可能→ただし、乳首はくりぬく。乳首再建の可能性は???】

温存ならその後放射線治療

手術後、再度ホルモン受容体の検査をして、受容体があればホルモン治療(5年)

採卵を希望したため、12月中に採卵をするように指示
(実際は、産婦人科のLABOが年末年始に定期検査で休止するため、そして私の採個数が少ないため2回にわたり採卵したため、1月18日に採卵終了。1月20日にセンチネル生検。1月25日に初の抗がん剤治療となる。【都度、主治医に連絡・報告・相談・了承を得ている】




そして告知

2017年01月22日 15時06分07秒 | 告知と治療方針
運命の日。

2016年12月3日(土)
母にもついてきてもらった。

外来に入室したとたん先生の手元の紙には「乳腺炎」と。
少しほっとしたのもつかの間。

「乳がんですね」さらっと。

やっぱりというか、信じられないというか。

乳腺炎と書いてあるのは、その疑いで病理解剖に出したから。
そこを私がみたらしい。

先生からいろんな説明がなされる。
HER2陽性だから、大丈夫とか・・・。
全摘になると思うとか。
そのあとシールタイプの乳房があるとか。シール!!!

再建したい希望を伝える。母は身体に負担だから反対と。

採卵したい意思を伝えたと思う。これまた母反対。
でも先生は。「ご本人が望んでるならやるべきですよ」と言ってくれた。

途中で、私は胸がドキドキしてくる。

先生「どうした?癌についての勉強してきた?」
私「本で読んだ程度ですが・・・」
先生「落ち込んでいても、治らないからね」

そのあと、今後の治療に必要な身体検査に行った。

当時の日記
大切にしてきた胸。彼がいつも褒めてくれた胸。
下着もたくさん用意して。
ケアしてきたのに。どうして。もっと大事にできなかったんだろう。
会いたい。


その日、姉に報告、夕方姉が来てくれた。
この時点で、私は主治医をココと決めたわけではなかった。
ズバッというタイプの先生なので、いちいち驚き、落ち込んでしまう気がして
セカンドオピニオンも受けようかと思っていた。

その日のことは、録音して何度も聞いたのに、いまだ思い出すことができない。

独りになると、いつも泣いていた。