古今東西 珠玉の言の葉めぐり

これまで心に響いた珠玉の言葉を写真とともに掲載します

2009年 4月号

2009-04-08 | 言の葉


「行き暮れて木の下陰を宿とせば 花はこよひの主ならまし」

薩摩守 平忠度 (1144年~1184年 *平安時代末)
平清盛の異母弟。 一ノ谷の合戦で討ち死。その時、この歌をえびらに結んでいたとされる。
その当時、ソメイヨシノはなかったのだから、実際はどんな桜の下宿りをしたのだろうか。

忠度はまた、平家一門都落ちの時、わずかの供を連れて都にとって返し、歌の師、藤原俊成に自作の和歌100余首を託した話は有名。
俊成はその後、『千載和歌集』(1188年成立)を編纂した際、忠度の「さざなみや・・・」の歌を、読み人知らずとして入れた。
後に、俊成の子、藤原定家が『新勅撰和歌集』(1235年成立)を編纂。そこでは、はっきり 薩摩守忠度の作とされた。



「さざ波や 志賀のみやこは荒れにしを むかしながらの山桜かな」

大津市錦織地区の住宅地の中にある「志賀宮蹟碑」。明治時代建立と記されている。山桜




「朧月夜」

高野 辰之 明治9年(1876)~昭和22年(1947)朧月夜、おぼろ月夜、菜の花、なの花
 撮影地 南伊豆の菜の花畑




「碁をくづす音ばかりして旅やかた しづかに春の夜はふけにけり」

落合 直文 文久元年(1861)~明治36年(1903)
 写真は、伊豆湯ヶ野温泉の福田屋







右猿「定額給付金てぇのは四個目のトチの実なんじゃないのか?」               『列子』 中国古代の寓話集
左猿「ん? うーん」朝三暮四
写真は京都嵐山で(昭和55年1月撮影)


・今回掲載のテキストはすべて著作権が切れています。
・主な参考ソース
  シャープ電子辞書 パピルス
  講談社 日本全史
  講談社 近代秀歌 木俣修
  週間朝日百科「世界の文学」101


              写真・編集・制作  KY企画



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