空也上人像と言えば、京都市の六波羅蜜寺を思い浮かべる人が多いでしょう。上人は平安中期、六波羅蜜寺を中心に活動していました。
このように口から「南無阿弥陀仏」を唱えると、阿弥陀さまの像が現れるのは鎌倉からなのだそうです。空也wikipediaリンク
この掛軸には聖観音が、並んで描かれています。
六波羅蜜寺の像を模写したとばかり思っていましたが、書かれている文面を読むと、違っていました。
「朱雀天皇(923~952)の后宮が天慶元年(938)に作らせた観音像に、子内親王が出産のおり、空也上人に安産祈願をしていただいた。空也像は安和年中(968~970)、??寺の成清が刻んだ像である。」
たぶんこのような文面だと思います。
しかし、このような上人の像は鎌倉時代以降のはずです。
この図が描かれたのは、古くても江戸後期と思います。そのような伝承がある寺院が、あったのでしょう。
また六波羅蜜寺をお参りしたくなりました。六波羅蜜寺wikipediaリンク
このように口から「南無阿弥陀仏」を唱えると、阿弥陀さまの像が現れるのは鎌倉からなのだそうです。空也wikipediaリンク
この掛軸には聖観音が、並んで描かれています。
六波羅蜜寺の像を模写したとばかり思っていましたが、書かれている文面を読むと、違っていました。
「朱雀天皇(923~952)の后宮が天慶元年(938)に作らせた観音像に、子内親王が出産のおり、空也上人に安産祈願をしていただいた。空也像は安和年中(968~970)、??寺の成清が刻んだ像である。」
たぶんこのような文面だと思います。
しかし、このような上人の像は鎌倉時代以降のはずです。
この図が描かれたのは、古くても江戸後期と思います。そのような伝承がある寺院が、あったのでしょう。
また六波羅蜜寺をお参りしたくなりました。六波羅蜜寺wikipediaリンク
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