青梅市の正福寺には何度かお参りに来ています。
圏央道が出来る前は、時折まえを通っていました。
御本堂前には摩利支天が祀られています。
下の画像だけは前回撮した写真です。
今回は西日が強く表情が分かりませんでしたので、3年前の画像が役立ちました。
天扇を持った像のようです。背面の台座に安永5年(1776)と彫られています。
明治に近くの浮島神社から移されてきたました。
御本堂前の甲子堂には大黒天が祀られています。
入口のお地蔵様と御本堂西側の御尊像です。
2体の六地蔵石幢が祀られていました。2体ある寺院は初めてです。
二枚の板碑がありました。
向かって左側が今井氏の墓です。
裏の住職の墓に祀られていますが記憶定かでなく、丁度お帰りになった御住職に案内していただきました。
今井氏は300年の歴史がありましたが、小田原の北条氏の滅亡と共に滅びました。
御住職とお話をしていると、飯能市内の観音寺御住職と親しいことが分かりました。
ひょっとすると思っていると、やはり「花と音楽の集い」のメンバーでした。「花と音楽の集い」link
無住であった正福寺に入山し、積極的に寺院運営をしているようです。
正福寺 東京都青梅市今井2丁目1045
正福寺ホームページlink
圏央道が出来る前は、時折まえを通っていました。
御本堂前には摩利支天が祀られています。
下の画像だけは前回撮した写真です。
今回は西日が強く表情が分かりませんでしたので、3年前の画像が役立ちました。
天扇を持った像のようです。背面の台座に安永5年(1776)と彫られています。
明治に近くの浮島神社から移されてきたました。
御本堂前の甲子堂には大黒天が祀られています。
入口のお地蔵様と御本堂西側の御尊像です。
2体の六地蔵石幢が祀られていました。2体ある寺院は初めてです。
二枚の板碑がありました。
向かって左側が今井氏の墓です。
裏の住職の墓に祀られていますが記憶定かでなく、丁度お帰りになった御住職に案内していただきました。
今井氏は300年の歴史がありましたが、小田原の北条氏の滅亡と共に滅びました。
御住職とお話をしていると、飯能市内の観音寺御住職と親しいことが分かりました。
ひょっとすると思っていると、やはり「花と音楽の集い」のメンバーでした。「花と音楽の集い」link
無住であった正福寺に入山し、積極的に寺院運営をしているようです。
正福寺 東京都青梅市今井2丁目1045
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