ずいぶん前の事だが、弟(現アイキダー)が鳥のヒナを拾ってきた。
最初はなんという鳥か判らなかったが、育てているうちに立派なヒヨドリになった。
“ヒヨ”と名付けたその鳥は、よくなついて可愛かった。
しかし、もともと体が弱かったのだろう。 長生きはしなかった。
ヒヨ↓
最近お友達の黒ノブさんが、庭に来るヒヨドリの餌付けを始めたらしい。
その話しを聞いて、ふとヒヨのことを思い出したKen坊であった。
ところで、現在では弱っている野鳥をみかけても手を出してはいけないらしい。
可哀想と思うのは人間のエゴであり、野鳥が落ちると言うことは自然の淘汰なんだとか・・
病気も怖いし、野鳥を拾うのは法律にも触れるらしいので、要注意です。
そして、その背後に・・・・(゜o゜)
鳥の病気侮れないですから、注意は必要ですね。
で、背後にいるのはオカンが餌付けした野良ネコです。
うちのオカンは鳥・タヌキ・ネコ、何でもござれの餌付けの達人です。
てのりヒヨ♪ヒナ、かわいすぎる。
赤ちゃんのパワーは格別ですが
鳥の赤ちゃんは、また格別ですね。
甘えた顔で、手の上にのる写真を見たら
体が、ほかほかして来ました☆
ありがとう☆
やはり所詮、自然の野生で育つ生物は、我々、人間が住む様な社会生活の原理とは異なり、彼らの生きる自然の原理には逆らえないんですよね。
そういう自然生態に対して、人間社会に生きる我々は、いろいろ意識、配慮をしていく必要があるんですよね。
ヒヨのご冥福を祈ります。
僕の知る限り、犬以外にあれほど人を欲するペットはありません。
明日は手乗り文鳥の思い出をアップしましょうか~。
野鳥の場合、落ちる=生命力の欠如=死 なのだそうです。
人間の感覚からすると可哀想に思えるのですが、野生ではそうして種が保存されるのでしょうね。
ヒヨをみとった時、それを痛感しました。
合掌。
野鳥の雛をじっくり見る機会って、あんまり無いですもんね。
ヒヨドリに限らず、ヒナはどれも可愛い様です。
つきなみですが、僕は手乗り文鳥が大好きです。