ウトピア

真実と欲望が出会うところ

破滅への道

2008-12-14 01:27:51 | Weblog
「屈辱と劣等感は成功のばね。
ためるほどよく伸びる。」
以上の言葉は人を勇気付ける。成功した人がよく逆境のときに、屈辱感を忘れずに頑張った、とよく話す。しかし、人間は「易きに流れる」ともいう。昨今、通り魔事件や、無差別殺人事件を見れば、自分の惨めな境遇によって精神のあり方考え方がおかしな方向に向いてしまい、自己の破滅だけではなく、他者への破滅的暴力ともなる。(この十年で通り魔事件の死亡者数は最高)
 多くの人が多少なりとも劣等感や屈辱感を感じながらも、他者への暴力へ破滅的に向かわないのは、育った教育による。両親や養育者、学校、地域等の意図的な教育が必要なのである。しかし、子供は、社会や世間の表に現れている全体的なものもはっきり現れないものも、周りの大人が言葉にして言わない社会のありよう、大人たちの行っている言葉の奥のものをも敏感に感じて自分たちの人間関係に反映させて、自分たちの心の習性として身につけ、育っていく。環境の影響であるが、もっと深い社会のありようも学んで実践し始める。「本音と建前の使い分け」を子供たちは自然に学ぶだろう。「大人は汚い」といっていた子供も、大きくなると平気でその汚いことをする。 
 従って、上記の言葉を使う前提としては、子供の周りの人たちの意図的な教育、つまり、屈辱や劣等感を肯定的に受け取るような教育が意図的に行われると同時に、屈辱と劣等感を成功に結びつけることが出来る、少なくとも表に現れる「社会のありよう」を作らねば成らない。後者は単に政府の施策だけでなく社会一般の習慣の中にもその雰囲気や具体的な習慣、考え方が必要であろう。人々に、多様な意見の表明・議論をする機会が与えられる、社会や集団の高い柔軟性、人間関係の高い柔軟性、社会のセイフティーネットや、仕事で言えば再教育システム、或いは、チャリティー活動、社会の再チャレンジシステム等が社会に広く実現されていなければならない。最低限の生活すらおぼつかなくなりそうな屈辱と劣等感に浸かり切った人には、まず、充実した社会保障制度や社会のチャリティー活動が、成功に向かう人をぎりぎり支えることになる。
 ちなみに、アメリカ人がチャリティー活動に寄付するお金は年間20兆円、日本人は年間3000億円で、アメリカの人口は3億人で、日本の約2・5倍である。アメリカ人の楽観的精神の育つ所以ではないだろうか。日本ではチャリティーが育っていないので、社会保障を充実するのが当面できることであるが、これすらかなり不充分なものであるのは、年金制度やその運営をする政府の態度を見れば理解できるところである。
 アメリカ人より悲観的性格が社会心理学では統計的に指摘される日本人は、経験から次のように言いかえることも出来る。
 「屈辱と劣等感は破滅へのばねにもなる。
 ためるほど、自己と他者の破滅にむかって、よくのびる。」
コメント
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