田園 里山 野鳥そしてアルプスの山々

日進市と近隣の里山、春から秋にはアルプスの山々を歩いて感じたこと、考えたことなど・・・

針ノ木峠と佐々成政

2013年10月09日 | 旅日記

針ノ木峠は標高2536m。針ノ木岳と蓮華岳の間にあり、立山黒部アルペンルートの長野県側、扇沢駅から針ノ木大雪渓を登るのがもっとも容易なアプローチです。今回は船窪小屋からここへ縦走し、逆に扇沢に下りました。

      針ノ木峠に立つ道標 道標の後ろは左から赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳

           その背後に白馬岳(左)と鹿島槍ヶ岳が見える

峠には針ノ木小屋があり、今回はここに1泊して、朝針ノ木岳山頂を往復したわけです。

                       針ノ木小屋

ここ、針ノ木峠は、戦国時代末期、越中富山の城主、佐々成政が冬のアルプスを横断し、浜松の家康を訪ねた際、通ったところ、と伝えられています。優れた冬山装備のある現代でも12月~1月の厳冬期にこのルートを通ることは大変難しいことです。ただ、徳川家臣で後の肥後松平家の祖先にあたる松平家忠が残した日記があり、天正12年12月25日、成政が浜松を訪れた、という記録があることは事実です。

秀吉と不仲であった成政は、秀吉に味方する前田利家と上杉景勝に東西を抑えられ、小牧長久手の戦後秀吉と和睦した家康と織田信雄を説得するため、アルプスを越えて自ら浜松を往復した、というのです。状況と記録から、アルプス越えは眞實とみられていますが、どこを通ったかまでは記録がなく、はっきりしたことはわかりません。もっとも有力な説が、旧立山温泉→ザラ峠→五色ヶ原→黒部川→鉢ノ木峠→信州大町ということになっています。

何はともあれ、家康の説得に失敗した成政は失意のうちに再びアルプスを越えて富山に帰った、ということになっています。

失意の成政に追い打ちをかけたのが、愛妾小百合が家臣と密通したという知らせでした。小百合を妬む家中の女どもの讒言だったことに気付かず、激怒した成政は”小百合を切れ”と旅先から命令し、恨みをもった小百合は「立山に黒百合が咲く時、佐々家は滅びる」と予言して死んでいきます。後にそれが本当になり、黒百合のおかげで成政は秀吉や北政所の前で赤恥をかかされ、その数年後、秀吉に切腹を命ぜられる、という話につながっていきます。

”黒百合は恋の花 愛する人に 捧げれば ・・・”という、織井茂子が歌った歌がありました。佐田啓二と岸恵子の有名なラジオドラマ、”君の名は”の第2の主題歌でした。”立山ではクロユリは恨みの花”と、数年前、室堂のガイドの方に教えていただいたことを思いおこします。

                 針ノ木峠から、黎明の槍・穂高

成政はどんな気持ちで冬のアルプスの山々、槍・穂高を眺めたことだろうか?とその心情がしのばれます。

    


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