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今朝、雨混じりのヒョウが降り寒いです。
20年前、2000年の初夏から秋にかけて三宅島では大規模な地震や噴火が発生、9月4日には全ての島民約2700人が島外に避難させられるという大事件が起きました。
(この噴火の記録動画は次のページにあります)
島を追い出された島民は日本全国に散らばって(大多数は都区内)約4年半以上の長きにわたって島に帰ることを許されませんでした。
島流しならぬ本土流しというところか。
パパの様に20年近く帰れなかった人、島には帰らないと決めた人もいれば、おばあちゃんの様に島には再び帰ることかなわず亡くなった人も少なからずいます。
噴火から20周年ということで、噴火前から作っていたホームページが削除され記憶が辿れなくなったこともあり、少しだけ遡ってみたいと思います。
約20年周期で噴火が繰り返されると言われている三宅島、17年前(1983年)にも溶岩流に約300戸(阿古集落がほぼ全滅)が呑込まれ、家を失った人々(パパも仲間)は辛い思いをしながらも生き生きと生活を立て直している途上とも言える矢先の大規模水蒸気爆発の噴火でした。
水蒸気爆発で旧カルデラが吹き飛び新たな大規模カルデラが出来る前のカルデラはこんなでした。
雨期には湿地帯が出現し、乾期には上の写真の様に広いコケの平原となり、寝転ぶとふわふわの絨毯となります。
植物は高山性の矮性となり様々なお花も見られます。
1999年に亡くなったブレンディちゃんとママです。
雄山山頂に行くにはこんな道を延々と登ります。
雄山中腹には牧場があり直径が1m程もあるオオシマザクラや椎の巨木がたくさんありました。
これらは全て失われ、記憶の産物となり新しい自然生態の中で生活をして行くことになります。
自然のダイナミズムの中で生きるとは、まさにこのこと?
都立三宅高校の農場に保育園児が訪れている風景。
(20年前、写真の方々にはブログ掲載の許可を得ています。転載等しないよう気をつけてください。)
20年前の一こまですが、これからも新しい自然と共に三宅島の生活は営まれて行きます。
三宅島を基点にアメリカからイルカの研究に来ていたキャサリーン博士と海ちゃん。
2年毎に行われるお祭りも復活しています。
長くなってしまったので、続きは次回に。
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