新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

大阪は「食いだおれ」の町か

2010年07月01日 | 大阪
 「東京の飯は高くて不味い!」と怒る大阪人を見かける。話を聞くと、銀座で食事をしたりしたらしい。それは自業自得ではないか。東京銀座の路線価は、大阪キタの3倍以上ある。テナント代を考えたら、原材料費に跳ね返らないと考えるほうがおかしい。

 書道マンガの『とめはね!』6巻で、大阪といえば「お好み焼き」で、定食を頼んだらライスが付いてくるのに驚くシーンがある。

 このシーンは二重の意味で、残念だった。大阪には、たこ焼きやお好み焼きしかないみたいではないか。

 粉食文化が誤解されたままなのも悲しい。お好み焼きはホットケーキやピザとはちがう。広島風ならもっとわかりやすいが、関西風も主役はキャベツの千切りで、粉はあくまでもつなぎである。粉もメリケン粉だけでなく、山芋をたっぷり使って、ふんわり軽く仕上げる。コロッケや肉じゃががおかずになるのと、そう大きくは変わらないように思う。

 しかし、そろそろ「食いだおれの町」という常識から、疑ってかかってみた方が良い。第一、食道楽で身上を潰すような大阪人など、想像することができるだろうか?

 江戸時代後期の本には、「江戸の食いだおれ、京の着だおれ、大坂は京に近い」ということが書いてある。大坂人は江戸っ子のように「女房を質に入れても初鰹」と見栄を張ったりはしなかった。そんなお金があるなら、質入れもできて、資産価値のある着物にお金を投じたはずだ。だから「着だおれ」である。

 船場道修町の商家育ちの三島佑一先生が、そんな大阪気質をユーモラスに振り返っておられる。昭和初期の話だ。その頃の商家では、頂き物は何でも蔵に納める習慣があった。

 「もったいない、ひとまず蔵に入れておきなはれ」

 当時は栄養価の高い貴重品だった卵も、こうしてお蔵入りになった。それでは頂こうと、蔵から出して石油箱をあけたところ、卵が爆発した。一年経っていたのだから、自然発酵していて当然である。

 「汚くためて、きれいに使う」のが大阪商人の身上だというが、ケチケチためた財産をきれいになくしてしまう「すかたん」も、愛すべき一面である。蔵に入れた着物は生地が弱り虫に食われたり、米は蒸れてしまい家畜のえさになったりしたこともあったそうだ。

 大阪が「食いだおれの町」と呼ばれるようになったのは、惜しまれて閉店した「大阪名物食いだおれ」が戦後オープンして以降である。

 しかし大阪で「食いだおれ」というとき、江戸のそれとはちがい、「杭倒れ」の洒落だという説がある。昔はよく洪水で、橋が押し流された。その倒れた杭に集まる塵芥(ごもく)のような粗末な食事ばかりしているから、「くいだおれ」と洒落てみたというわけだ。いわば自虐ネタ、奥ゆかしい謙遜の表現なのであって、大声で自慢するようなものではないのである。

 食いだおれ太郎は、愛すべきキャラクターだが、太鼓しか叩けない太郎ひとりに、「食都大阪」のPRの全責任を負わせるのは気の毒である。

 大阪人は、「食いだおれの町」という呪縛から抜け出たほうがいい。大阪出身の小林カツ代さんが、故郷の味の筆頭にあげたのは、千日前アメリカンのビーフカツサンドだった。大阪の味は、京都のかげでひっそり地味で目立たず、神戸のお洒落なイメージもないが、品があり、意外にハイカラである。

 大阪出身の『小林カツ代の『おいしい大阪」』(文春文庫)はぜひご一読を。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167753160

最新の画像もっと見る