今年はまだ映画館に行っていません。映画そのものも、アマプラで、『ブラック・レイン』を観ただけです。
興味のある映画はあるにはあったのですが……
映画館に毎週のペースで通っていた時期もありますが、今は山行きがメインになってしまいました。それでも、昨年は下山後に、美術館に行ったり、お芝居に行ったりしていたのですが。
結局、昨年映画館で観たのは、『生きる LIVING』と『スープとイデオロギー』の二本だけだったようです。
『生きる LIVING』を観て
ハイキングはおもしろい。ハイキング中は、歩く、休む、食べる、飲む、動物としての本能的な営みがあるだけ。息を継ぎ、足を運び、水を飲み、休み、行動食を摂る。そのシンプルな繰り返し......
オリジナル『生きる』の作家のモデルは太宰治であろうと、教えていただきました。
太宰と言うと、私は相原コージの『コージ苑』の「太宰はん」が思い浮かんでしまうのですが(すぐに傷つきすぐに自殺しようとする)、あのメフィストフェレスめいたインチキくささと、人懐っこさを兼ね備えた無頼漢ぶりが、リアルタイムの太宰治のイメージだったのでしょう。
『生きる』は1952年の作品ですから、家庭にはまだテレビや電話がありません。それ以外にも、時代を感じる描写はありました。胃がんが不治の病だったこともそうですが、冒頭、志村喬演じる主人公の渡辺が、病院の水道の備え付けのコップで水を飲むシーンです。この渡辺も、渡辺からコップを奪い取るように水をがぶ飲みする胃がん患者も、コップを濯ごうともしないのです。
昔は、病院や学校の水飲み場には、備え付けのコップがあったものですが、最近はすっかり見かけなくなりました。そもそも見も知らぬ他人とコップを共用するなんてありえないでしょう.。
最近、令和の女子高校生が、大正時代にタイムスリップして、華族のお嬢様とステディな関係になるという、百合SFの最終回だけ読みました。ラストは、華族のお嬢様のひ孫が、百年後の令和の世に戻った主人公のところに会いに来るという、感動のストーリーでした。
しかし、令和の若者は、百年前の大正時代はおろか、三十年前の平成の衛生環境に耐えられるものなのだろうかと、つい心配になってしまいます。
弊社も、オフィスのデスクでタバコが吸い放題、灰皿とゴミ箱の片付けは、女性事務社員の仕事でした。それだけでもナンセンスなのに、ゴミは燃えるものも不燃物も一緒くた、飲み終えたアイスコーヒの紙コップを、氷が入ったまま捨てる不届き者がいました。いまなら考えられないことですね。
今夜はアマプラで『ゆるキャン△』三期でも観ようかなと思いますが、最近のキャンプ場のトイレも水洗なんでしょうね。農園も、農業体験のできるキャンプ場施設として整備したいのですが、トイレの問題がネックです。「ウォッシュレットじゃないとだめだ」という人がいて、まずは下水工事からですから、何百万もの投資が必要なのです(最後は愚痴ですね)。
百合好きなのでこちらのSFが気になります。何という作品なのかタイトルを教えていただけませんでしょうか。
http://www.dokidokivisual.com/comics/book/past.php?cid=1619
ありがとうごさいました。