『竜の学校は山の上』九井諒子(イースト・プレス)にはまっている。
いくつかの短編を読み終えてから、九井さんはどんな人なのだろうかと、あとがきマンガを見てみた。
しかし、よくある楽屋ネタや身辺雑記、担当やアシスタントさんへのスペシャル・サンクスなどではなかった。全くプライベートなことは匂わせない。『金食い虫くん』という、2ページの掌編ながら、実にユニークな作品なのだ。作品こそがすべて。そこがまた気持ちいい。
以下、この作品の紹介である。セリフは作品通りだけれど、ト書きの部分は、私の妄想に基づく二次創作であることをお断りしておきたい。特に結婚うんぬんの部分はそうだ。作中には、二人の関係について明確な説明があるわけではない。
さて、オープニング。お皿に山盛りの一円玉がスプーンですくわれている。
次のコマで、その一円玉を、コーンフレークのように食べる男の子。
ぼりぼり、ざくざく。
テレビは、東京株式市場や日経平均株価のニュースを伝えている。
そんな男の子をじっと見ている女の子。彼女が手にしているのは、お茶碗にふつうのごはんである。
まだ付き合い始めて日が浅いわけでもなく、さりとて長いわけでもないようだ。彼女はこう問いかける。
「ほんとおいしそうに食べるよね 一円玉
お金っておいしいの?」
今までは聞きたくても聞けなかった。
今なら何でも自然に話せそうな気がする。
しかし彼はこともなげに答える。
「おいしいよ
死んだ生き物おいしい?」
真っ赤になって、うつむく彼女。
そんな言い方しなくたっていいのに。
でも、ちょっといやな言い方だったかも。
彼は気にせず、今度はサラダボウルの外国紙幣を手にとり、ビリッとやぶって、シャクシャク食べ始める。細かいことは気にしないタイプのようだ。
「最近よくその外国のお金食べてるね」
「あんまり味しないけど腹は膨れるし
食物繊維もとれるし」
「ふーん」
少しわかる。シルエットになっていてよくわからないが、カノジョの今夜のメニューは里芋の煮物か何かのようだ。食物繊維は気になるところである。
「やっぱ日本円がおいしい?」
「まあねー
五百円玉とか超ウマイよ」
「そんなこと言われても全然わかんないし…」
むう。彼女は少し上目使いになる。五百円玉なんか食べたことがないし、ましてや味の違いなんかわかるわけない。デリカシーのないやつ。ちょっと意地になってきた。
お金のおいしさは、やはり金額に比例するのかしら。
「じゃ
一万円札食べたことある?」
一万円札をバリバリ食べられたりしたら、結婚は無理かも。
五百円玉だって、いまの一円玉の調子でざくざく食べられたら大出費。経済の先行きは不透明で、会社もこの先どうかわからない。これから先、やっていけるのかしら。
男の子はスプーンをくわえたまま、「んんー」とまじめに考え始める。
「あるけどー
万札はなー
ちょっと高すぎて
あれ食うならそれで他に良いもん買うよって感じなんだよねー」
彼女は箸を休めて、彼をつぶらなまなざしで一心に見つめ、……そして、思わず笑ってしまう。
ムキになって、ばかな質問をしてしまった。彼のことが好きなだけで、知りたいのはお金の味ではなかったのに。
「わかる」
もう食事が終わりかけた、ふたりの食卓。コマの外に、「読んでいただきありがとうございました」と手書きの控えめなメッセージ。おしまい。
少しでも、この作品のおもしろさや魅力を伝えることができただろうか。マンガ好きには、テキストオンパレードで鬱陶しかっただろう。やはり作品を読んでもらうのがいちばんだ。
しかし、会話の流れも自然で、表情の変化も豊かだ。男女の付き合い始めた頃って、こういうことってあるよねと、納得してしまう。わずか2ページ、ほんの数分の会話に、さまざまなドラマが詰まっている。
私たちが日常生活の中で経験する、ことばにしがたい出来事、うまいことをいったつもりで痛切さを失ってしまう体験が、九井さんの作品のうちには「謎」のままに維持されている。そこがすばらしい。
人間はなぜ、好きこのんでやっかいな他者を求めたり、拒絶したりするのだろう。他者を理解不能なものと退けるのではなく、さりとて安直に「共存」「共生」を唱えるのでもない。そこには対立もあれば緊張関係もあり、埋めがたい溝も存在している。他者は向こう側にいるのではなく、今ここにいる。そこからことばが生まれる。物語が始まる。
この作品世界は、猿人(ホモサピエンス)と馬人(ケンタウロス)が共存するIFの世界を描いた作品のタイトルが示すように、コミュニケーションの始原を問う『現代神話』なのである。(さらに続くかも)
いくつかの短編を読み終えてから、九井さんはどんな人なのだろうかと、あとがきマンガを見てみた。
しかし、よくある楽屋ネタや身辺雑記、担当やアシスタントさんへのスペシャル・サンクスなどではなかった。全くプライベートなことは匂わせない。『金食い虫くん』という、2ページの掌編ながら、実にユニークな作品なのだ。作品こそがすべて。そこがまた気持ちいい。
以下、この作品の紹介である。セリフは作品通りだけれど、ト書きの部分は、私の妄想に基づく二次創作であることをお断りしておきたい。特に結婚うんぬんの部分はそうだ。作中には、二人の関係について明確な説明があるわけではない。
さて、オープニング。お皿に山盛りの一円玉がスプーンですくわれている。
次のコマで、その一円玉を、コーンフレークのように食べる男の子。
ぼりぼり、ざくざく。
テレビは、東京株式市場や日経平均株価のニュースを伝えている。
そんな男の子をじっと見ている女の子。彼女が手にしているのは、お茶碗にふつうのごはんである。
まだ付き合い始めて日が浅いわけでもなく、さりとて長いわけでもないようだ。彼女はこう問いかける。
「ほんとおいしそうに食べるよね 一円玉
お金っておいしいの?」
今までは聞きたくても聞けなかった。
今なら何でも自然に話せそうな気がする。
しかし彼はこともなげに答える。
「おいしいよ
死んだ生き物おいしい?」
真っ赤になって、うつむく彼女。
そんな言い方しなくたっていいのに。
でも、ちょっといやな言い方だったかも。
彼は気にせず、今度はサラダボウルの外国紙幣を手にとり、ビリッとやぶって、シャクシャク食べ始める。細かいことは気にしないタイプのようだ。
「最近よくその外国のお金食べてるね」
「あんまり味しないけど腹は膨れるし
食物繊維もとれるし」
「ふーん」
少しわかる。シルエットになっていてよくわからないが、カノジョの今夜のメニューは里芋の煮物か何かのようだ。食物繊維は気になるところである。
「やっぱ日本円がおいしい?」
「まあねー
五百円玉とか超ウマイよ」
「そんなこと言われても全然わかんないし…」
むう。彼女は少し上目使いになる。五百円玉なんか食べたことがないし、ましてや味の違いなんかわかるわけない。デリカシーのないやつ。ちょっと意地になってきた。
お金のおいしさは、やはり金額に比例するのかしら。
「じゃ
一万円札食べたことある?」
一万円札をバリバリ食べられたりしたら、結婚は無理かも。
五百円玉だって、いまの一円玉の調子でざくざく食べられたら大出費。経済の先行きは不透明で、会社もこの先どうかわからない。これから先、やっていけるのかしら。
男の子はスプーンをくわえたまま、「んんー」とまじめに考え始める。
「あるけどー
万札はなー
ちょっと高すぎて
あれ食うならそれで他に良いもん買うよって感じなんだよねー」
彼女は箸を休めて、彼をつぶらなまなざしで一心に見つめ、……そして、思わず笑ってしまう。
ムキになって、ばかな質問をしてしまった。彼のことが好きなだけで、知りたいのはお金の味ではなかったのに。
「わかる」
もう食事が終わりかけた、ふたりの食卓。コマの外に、「読んでいただきありがとうございました」と手書きの控えめなメッセージ。おしまい。
少しでも、この作品のおもしろさや魅力を伝えることができただろうか。マンガ好きには、テキストオンパレードで鬱陶しかっただろう。やはり作品を読んでもらうのがいちばんだ。
しかし、会話の流れも自然で、表情の変化も豊かだ。男女の付き合い始めた頃って、こういうことってあるよねと、納得してしまう。わずか2ページ、ほんの数分の会話に、さまざまなドラマが詰まっている。
私たちが日常生活の中で経験する、ことばにしがたい出来事、うまいことをいったつもりで痛切さを失ってしまう体験が、九井さんの作品のうちには「謎」のままに維持されている。そこがすばらしい。
人間はなぜ、好きこのんでやっかいな他者を求めたり、拒絶したりするのだろう。他者を理解不能なものと退けるのではなく、さりとて安直に「共存」「共生」を唱えるのでもない。そこには対立もあれば緊張関係もあり、埋めがたい溝も存在している。他者は向こう側にいるのではなく、今ここにいる。そこからことばが生まれる。物語が始まる。
この作品世界は、猿人(ホモサピエンス)と馬人(ケンタウロス)が共存するIFの世界を描いた作品のタイトルが示すように、コミュニケーションの始原を問う『現代神話』なのである。(さらに続くかも)
映画やドラマには監督の色が付いているから判断材料にならない。CMやスキャンダルには「素」が出る、と。
これは吉田監督だから通じる論理ですが、よくわかります。
この「金食い虫くん」も、「あとがき描け」といわれて、たぶんあまり時間もない中、描いたんだろうなと思います。しかし初めての単行本だからと気負わず、手抜きもせず、読者を楽しませようと、おもてなしの精神にあふれていますよね。
突然のお客さんをお迎えして、冷蔵庫のあり合わせでパパっと作ったシンプルなチャーハンがおいしい人こそ、本当の料理のプロ。本編はさらに食材にこだわり手間ひまかけた極上グルメ。乞うご期待!
と、「九井諒子」の検索キーワードでたどり着いた人たちに、ひとりでも多くこの本を手にしてもらえたら、それに勝る喜びはありません。
しかし、一円玉うまそうなんだよなー。金食い虫くんでないのが残念です。○○食べられないのはかわいそう、といわれるの、悔しいじゃないですか。異文化問題って、外国まで出かけなくとも、いろんな所にあるんですね。
「金なし白祿」のレビューも書きました。良かったら読んで帰ってください。この作品も早く単行本に収録されるといいな。
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/939.html
※焼酎貴族が「酎純貴族トライアングル」になっていたので訂正して再投稿。「宝焼酎純」はライバル社だよ……