推敲中。
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「源氏物語」の最初のヒロイン・桐壺更衣は、全物語中、「死にたくない」と叫んだ唯一の女性である。彼女の死をもって、桐壺帝・光源氏・薫の三代にわたり、形代、すなわち雛の舟を求める、男たちの愛の遍歴が始まる。
この無限ループを強制終了するのが、最後のヒロインとなる浮舟である。浮舟は霧壺更衣とは正反対に、全物語中ただ一人、自らの意志で死を実行に移し、「私を殺してよ」と叫ぶ。
父に認められず、義父に疎まれ、男たちに弄ばれて、運命に流されるだけだった浮舟が、女の業を一切合切引き受け、最後に手習歌、すなわち書くことを通して、この救いのない世界からたちあがる。
浮舟をわが子のように慈しみ、献身的に看病する僧都の妹尼が、浮舟をかぐや姫のようだと考えているのは、決して偶然ではないだろう。
「世の中になほありけり、といかで人に知られじ。聞きつくる人もあれば、いといみじくこそ」と泣きたまふ。あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに、いかなるもののひまに消え失せんとすらむと、静心なくぞ思しける。
(「この世にまだ生きていたなんて、誰にも知られたくないのです。もし聞きつける人がいたら、あまりにも惨めで」と言って浮舟の君はお泣きになる。妹尼も、無理に聞き出すのはかわいそうで、それ以上尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも世にも不思議な気がして、いかにも眼を離した隙に姿が消え失せてしまいそうだと、はらはらしないではいられなかった。)
(「この世にまだ生きていたなんて、誰にも知られたくないのです。もし聞きつける人がいたら、あまりにも惨めで」と言って浮舟の君はお泣きになる。妹尼も、無理に聞き出すのはかわいそうで、それ以上尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも世にも不思議な気がして、いかにも眼を離した隙に姿が消え失せてしまいそうだと、はらはらしないではいられなかった。)
月の明るい夜、老女たちは歌を詠み、華やかな都の思い出話に興じる。しかし東国育ちの浮舟には都の思い出はない。ひとり見知らぬ異国にいるような孤独のなかで、浮舟はこう歌う。
われかくてうき世の中をめぐるとも
誰かは知らむ月のみやこに
誰かは知らむ月のみやこに
地上の愛に傷ついたかぐや姫が最後に月に帰るように、浮舟は薫の返書を拒み抜く。地に残された男たちは、空に愛の幻を求めるしかない。後にはただ山里に山伏の涙も涸らす風が吹きぬけていくだけのことである。
(中略)
「手習」帖では、僧都の妹尼は「比叡の坂本で、小野という所にお住みになっていた」とあり、「かの夕霧の御息所(落葉の宮の母)のおはせし山里よりはいま少し入りて」ともある。
この時代の坂本は、比叡山の京都側からの登り口で、現在の八瀬大原の周辺とされる。
横川の僧都のモデルは、恵心僧都源信だった。源信には道長も帰依し、紫式部とも交流があったのではないかと思われる。
この源信の妹尼(姉ともいう)も、「安養尼」という高名な念仏行者だった。僧都の妹尼にもモデルがいたのだ。
大原三千院の本堂・往生極楽院は、かつて「往生院」といわれ、安養尼の庵だったと伝えられる。恵心僧都(源信)が、安養尼ととともに父母の供養のため建立したものだという。
この寺伝はさておき、安養尼は、大江匡房(まさふさ)の『続本朝往生伝』にも名を連ねる、女人往生のシンボルだった。建礼門院の大原行は、侍女・阿波内侍の縁ともいうが、この土地には女人がめざすだけの理由があったのである。
「源氏物語」に登場する「僧都の妹尼」には、伝説の高僧の面影はない。浮舟を長谷観音に授かった亡き姫の身代わりと慈しむ、母性愛に生きる人である。しかしそれだけにリアリティを感じさせる。この女性は確かに実在したのだ。
大原三千院の往生極楽院は、舟形天井で知られる。永年焚かれた護摩で黒ずんで見えないが、天井にも壁面にも、極彩色の絵が描かれていた。現在は円融蔵の展示室に、その復元模写で再現されている。
源信は弘誓船(ぐぜいのふね 誓いの船)を好んで絵や彫刻にしたと伝えられる。この極楽往生院の弥陀三尊は、衆生を苦界から救い彼岸に渡す船に乗る姿に見える。
女人の庵、女人の船。そして、かぐやを召喚する月の船。
この物語は千年なおも未完の物語であり、今も見果てぬ夢の続きである。