大阪の話が続いたので、今日はまだ江戸の面影が残る東京の話でも。いま、山田風太郎の『明治断頭台』を読み返しているところなのだ。これが楽しい。
本作は、明治初期に実在した「太政官弾正台」(だじょうかん だんじょうだい)の大巡察、香月経四郎(かづき けいしろう)と、川路利良(かわじ としよし)が、フランス人美女エスメラルダの力を借りて、謎の事件を解決するという、異色の連作「探偵小説」である。弾正台とは、役人の不正を調べ、糾弾するお役所。平安時代の組織をそのまま復活したという、時代錯誤も甚だしいお役所だった。まあ、最近は、現代より平安時代の方が、民主的で、公文書の管理も進んでいたなと思うようになったが。
香月経四郎は、「佐賀の乱」の首謀者・香月経五郎の兄という設定である。川路利良は、いうまでもなく、初代警視総監を務めた実在の人物である。薩摩出身で、『警視庁草紙』では敵役として登場する。
一切のネタバレがいやな人は、以下の文章は読まないことをお勧めする。
もっとも、触れるのは、導入部のほんの触わりで、「謎とき」に関わるものではないし、文庫本で全420ページある本文のうち、導入部の24ページ分にすぎない。第1章「弾正台大巡察」の前半部分だが、この章の結末に関係ないことも書き添えておく。食前酒や先付けに、食欲がいやが上にも高まるように、私はこの部分を読んだだけで、もうページを繰る手が止まらなくなった。
この小説の冒頭に登場するのは、明治2年(1869年)秋、横浜ではすでに「ポリス」とも呼ばれていた、江戸町奉行所の後継組織「市政裁判所」の5人の邏卒(らそつ)たちである。
この5人は、庶民を恫喝したり、因縁をつけたりして、金を巻き上げたり、飲み屋の代金を踏み倒したり、やくざのチンピラ同然のどうしようもない連中なのだ。いちばんの「稼ぎ頭」は、小伝馬町の牢屋敷「東京監獄」に奉職する男だ。実入りが良くない他の4人は、この男にたかる気満々で、小伝馬にやってくる。しかし、建物の中から大声が聞こえてくる。
「返しなさい、お金を返しなさい! いかに牢屋の木ッ葉(こわっぱ)役人とはいえーーともかくお上の役人が、人民から金をだましとるということがありますか!」
この大声の男は、「函館の戦争」に敗れて、東京に送られた旧幕府の軍人「榎本神釜次郎」(武揚)が小伝馬町の牢屋にいると聞いて、本や金を差し入れを続けてきた。「榎本はここにいて、自分が世話をしている」とヌケヌケというその「木ッ葉役人」に騙されたのだ。しかし、榎本が収監されていたのは、小伝馬ではなく、龍の口の兵部省糾問所だった。それで抗議に来ているのである。
「日本のいまの邏卒はやくざ者の巡回だ、こいつはいけないと、先日岩倉卿に西洋の邏卒制度というものを教えにいってあげたが、間に合わず、ここでこの福沢が、邏卒のバカメートルで斬られたら、さぞ改革が早まるでしょう」
「刀の長さなんぞ馬鹿の度合を示すもの」だから、バカメートル。こう語る「福沢」は、慶応義塾の塾長・福沢諭吉で、「岩倉卿」は、岩倉具視である。
そこに姿を現わすのが、弾正台の大巡察、香月経四郎。絵巻から出て来たような、平安朝の大宮人(おおみやびと)そのままの古色蒼然たる出で立ちの優雅な優男だ。
さすがの福沢も、この異様な姿に一瞬驚くものの、青年が役人の悪事をとっちめる弾正台の人間と知ると、邏卒の不正をまくしたてる。
青年は福沢の抗議を正当なものと認め、邏卒が不当に入手した金品を政府の責任において弁償することを約束する。そして邏卒たちを叱りつける。
福沢は、不正義や不合理を許さず、竹を割ったように、弁舌さわやかだ。それも福沢の一面であっただろう。しかし、そうした「偉人伝」で終わらないのが、小説の小説たる所以であり、毒っ気たっぷりの風太郎なのである。
物分かりのいい経四郎に気を良くした福沢は、こんな下っ端の邏卒ばかりでなく、政府の上層部にも「世変りのドサクサまぎれにうまい汁を吸おうとしているけしからん連中がだいぶある」と政府批判を始め、弾正台がどこまで知って、どう処置するつもりなのか、遠慮なくズケズケと見解をただす。
経四郎もその事実を認める。各藩藩邸は無人同様になっており、これをドサクサまぎれに手に入れようとする、強欲で虫のいい連中が少なくない、と。そして思い出したようにこう付け加えるのだ。
「そうそう、このあいだ先生は岩倉卿に、西洋の邏卒制度について御教授に参られましたな。そのとき、その進講の報酬として、三田にある島原藩邸、一万四千坪の土地と七百六十九坪の建物を、坪一両という安値で払い下げてもらうわけにはゆくまいか、と談判された、というようなことも承知しております」
そして、「先生、弾正台としては、かようなこと、いかに処置すればよろしゅうござろうか?」と、にっときれいな歯を見せて聞き返すのだ。さずかの福沢も、ギョッとして息の根が止まってしまう。
「三田」は、慶応義塾大学の代名詞だが、その創建には、こんな舞台裏があったのだ。福沢のがめつさ、あつかましさに比べたら、小悪党の邏卒たちの何とかわいいことか。
以前、「風太郎明治小説には、『資本論』を読んでいるような面白さがある」と書いたのは、このあたりだ。ぜひご一読を勧めたい。
本作は、明治初期に実在した「太政官弾正台」(だじょうかん だんじょうだい)の大巡察、香月経四郎(かづき けいしろう)と、川路利良(かわじ としよし)が、フランス人美女エスメラルダの力を借りて、謎の事件を解決するという、異色の連作「探偵小説」である。弾正台とは、役人の不正を調べ、糾弾するお役所。平安時代の組織をそのまま復活したという、時代錯誤も甚だしいお役所だった。まあ、最近は、現代より平安時代の方が、民主的で、公文書の管理も進んでいたなと思うようになったが。
香月経四郎は、「佐賀の乱」の首謀者・香月経五郎の兄という設定である。川路利良は、いうまでもなく、初代警視総監を務めた実在の人物である。薩摩出身で、『警視庁草紙』では敵役として登場する。
一切のネタバレがいやな人は、以下の文章は読まないことをお勧めする。
もっとも、触れるのは、導入部のほんの触わりで、「謎とき」に関わるものではないし、文庫本で全420ページある本文のうち、導入部の24ページ分にすぎない。第1章「弾正台大巡察」の前半部分だが、この章の結末に関係ないことも書き添えておく。食前酒や先付けに、食欲がいやが上にも高まるように、私はこの部分を読んだだけで、もうページを繰る手が止まらなくなった。
この小説の冒頭に登場するのは、明治2年(1869年)秋、横浜ではすでに「ポリス」とも呼ばれていた、江戸町奉行所の後継組織「市政裁判所」の5人の邏卒(らそつ)たちである。
この5人は、庶民を恫喝したり、因縁をつけたりして、金を巻き上げたり、飲み屋の代金を踏み倒したり、やくざのチンピラ同然のどうしようもない連中なのだ。いちばんの「稼ぎ頭」は、小伝馬町の牢屋敷「東京監獄」に奉職する男だ。実入りが良くない他の4人は、この男にたかる気満々で、小伝馬にやってくる。しかし、建物の中から大声が聞こえてくる。
「返しなさい、お金を返しなさい! いかに牢屋の木ッ葉(こわっぱ)役人とはいえーーともかくお上の役人が、人民から金をだましとるということがありますか!」
この大声の男は、「函館の戦争」に敗れて、東京に送られた旧幕府の軍人「榎本神釜次郎」(武揚)が小伝馬町の牢屋にいると聞いて、本や金を差し入れを続けてきた。「榎本はここにいて、自分が世話をしている」とヌケヌケというその「木ッ葉役人」に騙されたのだ。しかし、榎本が収監されていたのは、小伝馬ではなく、龍の口の兵部省糾問所だった。それで抗議に来ているのである。
「日本のいまの邏卒はやくざ者の巡回だ、こいつはいけないと、先日岩倉卿に西洋の邏卒制度というものを教えにいってあげたが、間に合わず、ここでこの福沢が、邏卒のバカメートルで斬られたら、さぞ改革が早まるでしょう」
「刀の長さなんぞ馬鹿の度合を示すもの」だから、バカメートル。こう語る「福沢」は、慶応義塾の塾長・福沢諭吉で、「岩倉卿」は、岩倉具視である。
そこに姿を現わすのが、弾正台の大巡察、香月経四郎。絵巻から出て来たような、平安朝の大宮人(おおみやびと)そのままの古色蒼然たる出で立ちの優雅な優男だ。
さすがの福沢も、この異様な姿に一瞬驚くものの、青年が役人の悪事をとっちめる弾正台の人間と知ると、邏卒の不正をまくしたてる。
青年は福沢の抗議を正当なものと認め、邏卒が不当に入手した金品を政府の責任において弁償することを約束する。そして邏卒たちを叱りつける。
福沢は、不正義や不合理を許さず、竹を割ったように、弁舌さわやかだ。それも福沢の一面であっただろう。しかし、そうした「偉人伝」で終わらないのが、小説の小説たる所以であり、毒っ気たっぷりの風太郎なのである。
物分かりのいい経四郎に気を良くした福沢は、こんな下っ端の邏卒ばかりでなく、政府の上層部にも「世変りのドサクサまぎれにうまい汁を吸おうとしているけしからん連中がだいぶある」と政府批判を始め、弾正台がどこまで知って、どう処置するつもりなのか、遠慮なくズケズケと見解をただす。
経四郎もその事実を認める。各藩藩邸は無人同様になっており、これをドサクサまぎれに手に入れようとする、強欲で虫のいい連中が少なくない、と。そして思い出したようにこう付け加えるのだ。
「そうそう、このあいだ先生は岩倉卿に、西洋の邏卒制度について御教授に参られましたな。そのとき、その進講の報酬として、三田にある島原藩邸、一万四千坪の土地と七百六十九坪の建物を、坪一両という安値で払い下げてもらうわけにはゆくまいか、と談判された、というようなことも承知しております」
そして、「先生、弾正台としては、かようなこと、いかに処置すればよろしゅうござろうか?」と、にっときれいな歯を見せて聞き返すのだ。さずかの福沢も、ギョッとして息の根が止まってしまう。
「三田」は、慶応義塾大学の代名詞だが、その創建には、こんな舞台裏があったのだ。福沢のがめつさ、あつかましさに比べたら、小悪党の邏卒たちの何とかわいいことか。
以前、「風太郎明治小説には、『資本論』を読んでいるような面白さがある」と書いたのは、このあたりだ。ぜひご一読を勧めたい。