新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

二人の毛沢東

2012年02月10日 | 革命のディスクール・断章
 二人の毛沢東がいた。1920-30年代の若き革命家と、1950-1960年代の老独裁者との。



 毛沢東はすぐれた詩人でもあった。長征途上のゲリラ・パルチザン戦争のさなか、毛沢東が李白(作と伝えられる)の古詩にモチーフを借りた漢詩がある。壮絶な戦闘を勝ち抜き、敵の返り血を浴びながら進撃する精神のたたずまいは、爽やかでさえある。1935年作。

婁山關

  西風 烈し 
  長けき空に 雁の叫く
  霜ふりし 晨の月 
  馬蹄の声 砕け
  喇叭の声 咽ぶ 
  雄関 道う漫れ 
  真に 鉄の如しと 
  而今や 邁歩して 頭従り越ゆ
  頭従り越ゆ
  蒼山 海の如く 
  残陽 血の如し

  せいふう はげし 
  はるけきそらに がんのなく 
  しもふりし あさのつき 
  ばていのこえ くだけ
  らっぱのこえ むせぶ 
  ゆうかん いうなかれ
  まことに てつのごとしと
  いまや まいほして いただきよりこゆ
  いただきよりこゆ
  あおきやま うみのごとく
  いりひ うみのごとし

 しかし「残陽血の如し」とうたった毛沢東本人は、血を見るのを極度に恐れたとも伝えられる。

 「もっていけ。かくせ。見たくない」

 北京郊外に滞在して、国民党軍との内戦が続いている頃のエピソードである。護衛たちのあいだで、山中の森の雀を撃って、うさをはらすのが流行った。護衛たちが撃ちとった雀をぶらさげて帰ってきた。護衛が差し出した雀から血が滴った。毛沢東は半歩しりぞいて、顔をおおってこう叫んだという。

 「雀がどんなわるさをしたというのだ。雀にも生命がある。これからは撃ってはならん」

 「いかなる人間もレーニン以降、これほど歴史は揺るがしはしなかっただろう。彼は中国を再建しようと欲し、そしてこれを成し遂げた」とマルロオは毛沢東の業績をたたえている。毛沢東には謎が多い。きょうは簡単にエピソードの記録だけにとどめる。

【参考文献】
『毛沢東』 竹内実(岩波新書)




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2 コメント

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Unknown (キンピー)
2012-02-10 11:43:04
毛沢東といえば同じニホイを魯迅(ほぼ禁書扱いでしたっけ)にも感じるのですが、いまの中国政府にはそういったものを感じられないのが残念でなりません。

ところで某おじさんの所で「話をそらす」の実践を行っているのですが、やはり顔を見ずに対話を行うネットでは難しいですね。
同じ場所で同じ空気を吸って会話するなら、季節の話や天気の話もできるのですが…パニクってAKBの話を出しちゃいましたよ…しかも私も相手も興味が無かった(汗
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Unknown (kuro-mac@osaka)
2012-02-10 14:08:40
文革時代の中国の写真見ていたら、人民が貧乏そうだけど幸せそうなんです。「よいこの文化大革命 紅小兵の世界」というおもしろい本がありますが、ケンちゃんシリーズのような郷愁を誘われます。

保守派論客の石平さんいわく、日本にこそ良き中国が残っていると。漢籍も仏教も儒教も建築でも美術でも何でも。

中国人が日本の悪口いいながら、観光ツアーで押し寄せるのも、技術面で中国の未来もあれば、文化面で失ってしまった過去の歴史遺産もある。ああ、あの人たちも現在は幸せじゃないんだなと思ったりしました。

あ、AKBは前田以外に、たれ目のねーちゃんとマンガ描く子を、私は識別できますよ(名前忘れてるじゃねーか!)。

しかしキンピー路線は成功しているかと。急にAKBなんておちゃめ。

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