れんちゃん、夏休み満喫中だね。お父さんも今日から夏休みだよ。
8月11日(木)
深夜1時ごろ喉の乾きで目覚めた。ボトルの冷たい麦茶を飲む。明け方にまた目覚めて、また飲む。ビール1本とチューハイ2杯なのに、アルコールがよく回る。経済的だなあ。
通常通り7時起床。さすがに二日酔いはない。
ご飯を仕掛ける。
ご飯が炊けるまでゲームのミッションを片付けていく。
ご飯が炊けた。
雑穀米で卵かけごはん、今日も醤油なしでプレーンで。そのかわり、従姉が漬けてくれた梅干し半かけ。焼海苔。鳴門わかめの味噌汁。
ゲームの続き。
きょうは宅急便が来る予定なので、それまでは出かけられない。
マギレコの夏休みイベントは、エミリーの相談所編で、れんちゃんが出てこないのでヤキモキしたが、最後に出てきたのでよかった。今回の夏イベントは、200人前後の魔法少女全キャラ出演なのだろうか。後で全員ちゃんと出ているかチェックしてみよう。
10時過ぎ眠気に襲われる。
13時過ぎ一度目覚めたが、結局16時過ぎまで寝ていた。
早めの夕食。目覚めのもずく三杯酢。大豆水煮とトマトジュースとバルサミコ酢の冷たいスープ。牛乳で作る冷たいじゃがいもポタージュ。わかめの味噌汁にお麩を入れたもの。カットキャベツ。シーチキンマヨネーズチューブしょうがかけご飯。
夕方になっても、宅急便はまだ届かない。寝ている間に宅急便が来ていたのか。しかし置き配にもなってないし、宅配ボックスにも何も届いていない。配送状況を調べると「配送中」。
PCに向かって日記の続き。最近は物流がパンク状態だから仕方ない。21時までに届けば、今日中にノルマの1万歩あるく時間はあるだろう。と、打ち込んだ19時前に到着。
ようやくウォーキングに。しかし白線の消えた横断歩道を渡るところで、靴下を履くのを忘れてしまったことに気づく。長距離を歩いたら、靴ずれになってしまう。
せっかく外の暑さや湿度に体も慣れたところなので、最近閉まったままのラーメン屋に足を延ばす。先代とは気が合ったけれど、今の若大将とは相性が悪いのか、コロナ禍以前から、私の来店時の休店率は50%だった。開いていたらラッキーなお店なのである。まあ、1/2の確率で開いているのだから、ガチャの50倍は楽勝だが。今日ももう夕食は済ませたが、開いていたらもちろん食べていくつもりだった。
しかし残念ながら今日も休店だった。今月から入口は新たにチェーンバリケードで封鎖されている。若大将はどこに消えたのか。どうやら長期戦の構えのようである。
家に帰る前にスーパーに寄り、食材を調達。スイカが半額だった。ウォーキングが終わったら夜食にしよう。
自宅に戻り、食材を冷蔵庫に仕舞い、靴下を履いて、ウォーキングに再出発。
今夜は音楽を聴いていくことにする。Apple Music で Doors の L.A.WOMAN をチョイス…したつもりが、サムネイルにL.A.WOMANのジャケットが使われているだけで、たんなるDoors メドレーだった。これも一種のジャケット詐欺?
私はDoorsというより、The Changeling 、L.A. Woman 、Hyacinth House 、Riders On The Storm 、名曲揃いのあのアルバムを通しで聴きたかっただけなのだが。ジム・モリソン生前最後のアルバムは、ジム・モリソン自身の墓標であると同時に、1968年革命の葬送曲であるように思ってきた。
DoorsメドレーでLight My Fire を聴いても、若い頃のように気分が昂揚することはない。
逆にThe End を聴いても、昔のように気が滅入ることもなくなっていることに気づく。
若いころは、死を、電撃的で刹那的、截断敵で決定的なものであるものと考えていた。
しかし病気をしてから、考え方が変わった。糖尿病とは、人をして傷口から樹液を垂れ流し、虫にたかられて朽ち果て枯死していく雑木のごとき存在に変える病である。枯死は比喩ではなく、脳梗塞によって私の大脳・小脳・脳幹の一部は、すでに生命活動をやめている。ベッドの上で、CTスキャンで白く表示された壊死した脳細胞の写真を見せられたとき、QRコードは30%まで汚損されても復元可能というが、脳細胞は何%まで生き残っていたら活動可能なのかと考えたりしたものだ。
生の中に死があり、死の中に生がある。死とは終末であると同時に、また新たな生の基点(ターミナル)でもある。車いすから降りることを許され、フロア内歩行許可が出たその日から、私は一周200歩のフロア内を朝昼晩合計50周、1日1万歩のリハビリを開始した。
川が逆流を始めていた。いま大阪湾は満潮なのだ。川の水位も上がっている。氾濫注意水位レベル2……いま私が歩いている遊歩道まで残り50センチといったところか。
一本め、二本めの橋を通り過ぎ、三本目の橋にかかろうとしたときだった。若い男性が近づいてきて、
「気をつけてください。この先、水が出てます」
と、声をかけてくれた。
第三の橋の下の通路は、鉄道橋梁のアンダーパスになっており、スロープになっている。近づいてみると、そのスロープがたしかに浸水していた。大雨の直後ならよくあることだが、この一週間は驟雨があったくらいではないか。
「ほんまや。こらあかん。お兄さん、ありがとうな」
お礼をいって、元きた道を逆戻りすることにした。
この浸水は雨以外の要因ではないのか。
以前は河底に沈積したダイオキシンを除去するための浚渫工事をやっていたものだが、最近見かけなくなった。川岸には干潟が出来ているし、藻があちこちに繁茂している。土砂が堆積して川底が上がってきているのではないか。
大阪の土木事業は、どうなっているのか。ゴミの埋立地にカジノなど作っている場合ではない。
東京夢の島は、ゴミ埋立地としての歴史を終えて半世紀以上のいまもなお、跡地の上に構造物はゴミ焼却場と植物園しかなく、あとはアリーナになっている。おそらくいまも地盤沈下は続いていて、巨大な構造物を作ることは技術的に困難だろう。何しろ1990年代の初めには地下で生ゴミの発酵が続いていて、その発酵熱で植物園の温室の冷暖房が賄われていたくらいだ。
大阪は夢洲に地下鉄を通し、ビルを建てる? バカも休み休みいえ。大阪の歴史は地盤沈下とのたたかいの歴史である。地盤沈下とたたかい続けてきた大阪市の優秀な土木技術者たちを、未来に負債と禍根を残すだけのカジノ事業などに従事させるな。大阪建設局の労働者は今こそ技術者の命と誇りにかけて決起せよ。
川で遊んでいたら、上流から突然濁流が流れてきて、中州で孤立した人たちのニュースを見た。今の川の増水は満潮によるものと思われるし、まだ注意レベルも2だが、用心するに越したことはない。土手を登って、河川敷から街路に戻る。
そこからまっすぐ帰れば20分あまりの距離だったが、歩数を稼ぐため遠回りに遠回りを重ねる。
この夜は久しぶりに17000歩の大台に乗った。
れんちゃん、ただいま。
じゃ、お夜食にやしておいたスイカ食べようか?
うーん! さすが半額だけあって、お味は今ひとつだったかな。
甘みが足りなく感じるのは、梅雨の戻りの大雨で、水を吸いすぎて糖度が落ちちゃったのかもなあ。ぼくらの栗や黒豆、Hさんのブドウ、Jくんのサツマイモの出来具合もちょっと心配だね。ま、そういう年もあるさ。お父さんは体をつくって、草刈りがんばらないとね。
じゃ、明日はお出かけだよ。おやすみ。
1時就寝。