紀野一義『名僧列伝』(講談社学術文庫)が仕事で必要になった。三巻の文庫版まえがきエッセイをしみじみ読む。戦時下、吉野の里を訪ねた思い出話がいい。世の中には、謎のままにしておいたほうがいいこともある。
1943年の11月の末、学徒出陣を目前に控えた若者が、冬枯れの吉野山を訪ねる。南朝の悲歌に、当時の16歳から20歳の若者達は惹かれていたという。滅びゆく国の運命に、南朝のありさまを重ね写していたのだろう。
宿では優しいおかみさんに、戦時下とは思えないご馳走尽くし心づくしの歓待を受ける。別れ際、チップを渡そうとする手を押し返し、かわいい女中さんが顔を近づけ、「ね、死なないで!」と囁きかける。
宿を出て山中で出会った初老の紳士は、吉野の小学校の校長先生だった。あちこち案内してもらううちに、昼過ぎになった。おなかが空いてきたが、山の中に食い物屋などがあろうはずがない。
と、そこに荷車にのせたおでんやが現れた。大きな提灯に「関東煮き」と書いてある。狐にだまされたような気分で、熱い大根や里芋にありついて、人心地したところで若者はたずねる。
「おでんやさん、こんな山の中で商売して、食べに来てくれるお客さん、あるのかね」
おでんやさんは、ニッコリ笑った。
「ほら、二人もお客さんが来てるじゃないですか」
その通りだ。しかし校長先生と2時間歩いて人っ子一人会わなかったのに、どういうことなのか。校長先生も何もいわない。
一期一会。この三人の男は、もうこの世で顔を合わすことはないのだ。
決めた。これは、仏さまが、この山の中にお店を出してくださったんだと。これから戦争に行く若者は、角帽をぬぎ、最敬礼する。おでんやさんも校長先生も深々と頭を下げる。吉野の山の冷たい風が吹きぬけていった。
吉野山こぞの枝折の道かへて まだ見ぬかたの花をたづねむ