あの日、14:46…
いつもの河川敷をウォーキングしていた。
ちょうど満ち潮でどんどん水嵩が増していってポロロッカみたいだと思っていた。
帰宅して観たテレビ…
津波の模様を伝えていた。
これは何?何処?何の事なんだ?
あの時見た映像は今も記憶からは消えない。
歩いていたあの時、もしここで同じことが起きていたら…
そう思う。
すぐ傍に原発もあるし…
防災無線であの時と同じ時刻に黙とうを捧げる知らせが鳴った。
いつもの河川敷をウォーキングしていた。
ちょうど満ち潮でどんどん水嵩が増していってポロロッカみたいだと思っていた。
帰宅して観たテレビ…
津波の模様を伝えていた。
これは何?何処?何の事なんだ?
あの時見た映像は今も記憶からは消えない。
歩いていたあの時、もしここで同じことが起きていたら…
そう思う。
すぐ傍に原発もあるし…
防災無線であの時と同じ時刻に黙とうを捧げる知らせが鳴った。
ただただ
祈ることしか出来ませんでした。
本当に信じられないほどの映像で。
復興できない地域も気持ちが戻れない方も・・・
辛い事実に、胸が痛みます。
東北も北国 こんな夜は更にしばれるでしょう
~~
どんな災難も人ごとではないです~
いつ 身に降り掛からないとも言えない、
心すべきですね、、
おまけに放射能つきだから、尚更、タチが悪いです。
アキには、何も出来る事無く
事実を受け止め、次のステップ踏んで欲しいです。
1年のこの時間は、帰宅難民になっていた長男をバイクで新宿まで迎えに行って戻ってくる途中でした…
起きてしまった災害を恨んでも元には戻らない
しっかり前を向いて進むしかない
そんな時の為、心を鍛えておかなきゃね!
自然の恐ろしさを改めて感じた日でした。
今なお 立ち上がれることが出来ない方たちも
おられます。
まだまだ、復興へのお手伝い、
自分が出来ることをし、自分たちの万が一のことも考えないと・・・
と思います。
富士の麓のここも大きく揺れました。
震源地はもっと近いと思うくらい大きく長く揺れました。
娘は、代ゼミの寮に申し込む予定だったのですが、新宿の寮は怖いので、京都の代ゼミに替えました。
そんなわけで、息子も娘も京都での1年でした。
どんな思いだったか…
日記がアップされた時ホッとしました。
復興がままならないので、新しくやり直すにも事業を再開できない所も多々あるし…
まだ見つからない人たちもいるし…
心が回復するにも期間は短いと思います。
いろいろな思いを知れば知るほど辛いですね。
いつ我が身に降りかからないとも知れません。
防ぎようもない天災。
でも対応の仕方を話し合っておかないとね。
こちらも風が冷たくなりました。
もとさんの所はもっと寒そう。
地震や水害。
1.17、3.11、ここでは「平成5年8月豪雨」…鹿児島で起きた7月31日から8月7日にかけて降り続いた雨の被害。
忘れられないです。
それに対して皆さんから与えられた力、大切にしたいです。
辛いこの試練を乗り切るしかないんだけど、
余りに現実を見ると辛すぎます。
新宿駅は帰れない人たちでいっぱいだったね。
忘れようにも忘れられないですね。
昨日も話したけど、水の力って凄い圧力なんだよね。
何が起きるか判らない。
天災が人災を伴うともっと怖い。
だから人間は驕り高ぶってはいけないと思うのね。
地球は私たちを戒めているのかも…
あの勢いに嘘だろうと思った。
私たちが出来る事って何だろう?
夫はまた義捐金を持って市役所に行こうって言ってました。
今できる事と言ったらそれくらいしかできないのかも…
挫けないで生きていって欲しいですね。
東京も頻繁に余震がありましたからね。
静岡も何度も余震が来たんでしょうね。
千葉の妹も怖かったって言っていました。
東北で起きた地震が、離れた所まで影響を及ぼしたのは
いかに大きな地震だったかって事ですね~
自分が何をしていたかってことまで忘れられないですよね。
心配したよ
今 こうして平凡だけど暮らせているって幸せなことなんだよねぇ
今夜も3本観ました。
生ひじき、やっぱ旨いです。
平々凡々であるって事も幸せだと思うよ。
あの日は関東地方まで酷い状態だとは思わなかった。
津波の酷さに目がいってたから~
外国からの支援有難かったし、こんなことしてくださったんだってことも知ったしね。