kyon's日誌

つれづれに・・・

柔らかな犀の角

2016年03月05日 | 日記
  佐々木閑・著

”究極の真理へと
到達するために精励努力し、
心、怯むことなく、行い、
怠ることなく、足取り堅固に、
体力、智力を身につけて、
犀の角の如くただ独り歩め”

本の後書きの最後にあった。
多分釈迦が言い残した中の生きる為の知恵の一つとしての言葉なのかな・・・と思う。
著者は仏教学者。

「犀の角」という言葉に惹かれ、機会があれば読んでみたかった。
ワタシの中では以前読んだ俳優の山崎努さんの読書録の中にもあったという記憶と、犀の角の謂れについて惹かれていたこともある。
多分、以前にもチラッと書いたと思うが、
犀は森の中を独り歩く・・・決して強い生き物ではないが身に付いた鎧を纏っている。その体皮は堅固でその身は大きく、その角は強そうで身を守るための武器でもある。が、その角の中は柔らかなのである・・・本当の武器にはならない、役には立たないのだが、周りの獣はその角を恐れる・・・その役にも立たない角をつけて犀は黙々と森を歩く・・・
というような感じだったかな・・・?
お釈迦さんが残した本当の言葉はどんなだったかは実のところ、誰も真実は知らない。けれど、例えとしての犀の角は実は柔らかなのだという言葉にちょいと感動したのだった。

北インドの小さな王国の王子として生まれた釈迦が身分を捨てて出家してしまうというドラマ性も、真理を知りたいという志も、生死を賭けるような苦行では得られないということを知り、瞑想によって、ついには悟りという境地に達する・・・
人が生涯を掛けて知らねばならないような人としての真理を求めていく精神性の高さに著者は感動している。釈迦が一人の人間として特別な奇跡を起こす人ではなかったことに感動している。
科学万能の世界に至るまでの経過を辿りつ、今の時代の仏教の客観的な捉え方を、学者として自分なりに分析し、分かり易くザックリではあろうけど・・
で、釈迦の生き方に素直に感動しているのだなぁと伝わる。
仏教って何?というワタシには面白く読めた。

宗派云々と言い募る今の宗教観を少し斜めに眺めて客観的な視点を持つのも、悪くないな・・・と。
一つのものに固執しなくていいのだし、どんな宗教も自分を知る、我が身と心の整え方を如何様にしようか・・・が命題だとすれば、
来世に幸福がある・・・ような話は違うね・・・
人はあの世で救われる訳ではないのだ・・・今、生きてることが大事なのだと又あらためて思ったりできたな・・(^^ゞ

ま、邪気を払うには、こういう薬が自分的には良かったかなぁ~(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする