毎月2回、ダンボールに入った雑誌が会衆に届きます。
1つは書籍研究用のものみの塔と目ざめよ!、もう1つは配布用のものみの塔です。
到着すると数を確認してから成員に配られるわけですが、成員よっては一人で30冊以上の雑誌を受け取る人もいます。
こんな狭い区域で、そして反応の悪い区域でよくそんなに配布できるなぁ、と感心すると同時に、みんなちゃんと読んでくれているのだろうか?と疑問に思ったりします。
雑誌を多く配布している人と一緒に奉仕すると、どんな方法でそれだけの雑誌を配っているのか知ることができます。
「雑誌経路」という、毎月雑誌を受け取ってくれる人の所に行き「○○です。今回はこんな雑誌を持ってきました」と言ってから雑誌を簡単に紹介し、手渡した後に「いつも受け取ってくださりありがとうございます」と言ってから帰る、といった感じです。
多くの場合、「雑誌を読みましたか?」「雑誌を読んでいますか?」とか「どんな記事が役に立ちましたか?」といった質問はしません。
「読んでない」とか「読んでもよくわからない」といった答えが返ってくることが多いからです。
多くのエホバの証人は「配布した数」に喜びを感じるため、読んでいるのかどうかにかかわらず、断らない人には配布する、といった感じのようです。
読まない人に雑誌を配布するのは無駄なんじゃない?なんて普通は言えませんが、言ったとしても返ってくる答えは予想が付きます。
「大切なことは真理の種を蒔くことだ」ってね。
でも、「道路のわきや岩地」(マタイ 13:3-9)に蒔き続けても芽
は出ないでしょう。
何ヶ月も配布し続けるより、本来の目的である「家庭聖書研究を取り決めること」を切り出したらどうなんですかね。
断られたら断られたで、しょうがないでしょ。「終わりの時代」だし。
余談ですが、うちの会衆では「雑誌経路」を会衆に報告することはありません。
なので、それと知らずにその家に入ると「女性の方がその雑誌を毎月持ってくる」と言われたり、同じ人が知らずに受け取ってしまうことがあります。
雑誌を受け取った人には「再訪問」するのが普通なので、ややこしいことになります。
こういうことはきちんと組織して欲しいものですが、そういうわけにはいかないようなので「この家
は○○兄弟の雑誌経路だ」と覚えておくしかないようです。
こんな不満をつぶやいておきながら、今月はまだ一度も野外奉仕に出てません。
不活発扱いされないように1時間だけでも出ないとね。
1つは書籍研究用のものみの塔と目ざめよ!、もう1つは配布用のものみの塔です。
到着すると数を確認してから成員に配られるわけですが、成員よっては一人で30冊以上の雑誌を受け取る人もいます。
こんな狭い区域で、そして反応の悪い区域でよくそんなに配布できるなぁ、と感心すると同時に、みんなちゃんと読んでくれているのだろうか?と疑問に思ったりします。
雑誌を多く配布している人と一緒に奉仕すると、どんな方法でそれだけの雑誌を配っているのか知ることができます。
「雑誌経路」という、毎月雑誌を受け取ってくれる人の所に行き「○○です。今回はこんな雑誌を持ってきました」と言ってから雑誌を簡単に紹介し、手渡した後に「いつも受け取ってくださりありがとうございます」と言ってから帰る、といった感じです。
多くの場合、「雑誌を読みましたか?」「雑誌を読んでいますか?」とか「どんな記事が役に立ちましたか?」といった質問はしません。
「読んでない」とか「読んでもよくわからない」といった答えが返ってくることが多いからです。
多くのエホバの証人は「配布した数」に喜びを感じるため、読んでいるのかどうかにかかわらず、断らない人には配布する、といった感じのようです。
読まない人に雑誌を配布するのは無駄なんじゃない?なんて普通は言えませんが、言ったとしても返ってくる答えは予想が付きます。
「大切なことは真理の種を蒔くことだ」ってね。
でも、「道路のわきや岩地」(マタイ 13:3-9)に蒔き続けても芽

何ヶ月も配布し続けるより、本来の目的である「家庭聖書研究を取り決めること」を切り出したらどうなんですかね。

断られたら断られたで、しょうがないでしょ。「終わりの時代」だし。

余談ですが、うちの会衆では「雑誌経路」を会衆に報告することはありません。
なので、それと知らずにその家に入ると「女性の方がその雑誌を毎月持ってくる」と言われたり、同じ人が知らずに受け取ってしまうことがあります。
雑誌を受け取った人には「再訪問」するのが普通なので、ややこしいことになります。
こういうことはきちんと組織して欲しいものですが、そういうわけにはいかないようなので「この家

こんな不満をつぶやいておきながら、今月はまだ一度も野外奉仕に出てません。

不活発扱いされないように1時間だけでも出ないとね。
