ちょっとこの話題は誤解を招くかもしれないデリケートな話となりますが、、、。
バンコク、道を歩けば屋台に混じって物乞いの人がたくさんいます。
ホントは一例として写真をあげた方が衝撃でわかりやすいですがその辺は人道的にちょっと、、、。
指や腕がない人、足がない人は結構当たり前にいて、なかには這って移動するしかない状態の方もいます。目が見えない人も多いし、顔の肉全体が垂れ下がってる人、赤ちゃんにおっぱいをあげながら座っている人(結構いる)、と、初めて見る人には衝撃かもしれません。
しかし、1県となりの県に行けば極端に少なくなります。
これはやはり「バンコク」という大都市に「出稼ぎに来ている」、と言う事でもあると思います。
バンコクではない都市では水上マーケットや人が集まるところには目が見えない人がカラオケセットのようなものを着けて、マイクにお金を入れるカップを付け、歌いながら物乞いしているのはよく見ました。と、物乞いではないですね。要はちゃんと労働?パフォーマンスに対する報償をもらって生活しているわけです。
最初は目が不自由な事を気の毒とだけ思っていましたがほとんどの方は歌ったりピアノを弾いたりして報酬としてお金をもらっていることに最近気づきました。
そこで考えさせられたのは障害があっても(自分で切り落とした場合もあるかもですが)たくましく生きるすべをもっているなぁ、と。
大都市に出稼ぎにまで来てるわけですし。
日本だと、よく障害者に対するサポートが少ないとかなんとか言われてますけど、次元が鬼のように違います。(この次元の違いは先日書いた「日本では歩道を自転車が走る事を問題にしているが、バンコクはバイクも走り、それが問題にはなっていない」に通じるものがあります)
日本人としてサポートはもちろん重要と思います。日本とタイは別の国なので様々違って当たり前ですが、考えたのは日本の場合は世話をする親や親族がいなくなった後、どうしてるんだろう??と。
五体不満足の乙竹さんやパラリンピックで凄い成績を残している方がいらっしゃいますけど、大変な努力と運が必要な気がしますし、そのようにして生きていける方はごく少数だと思います。そしたらそれ以外の人は一体?と思ってしまいました。
おそらく日本であれば例えば五体不満足の方が100円ショップで買ったものを300円とかで道ばたで売っていても優しい方が多いのでそれなりに稼げそうな気もします。
目の見えないピアニストですごく有名な方が、いかにもその方だけのみが特別な様に報道されてますが(ピアニストさんを非難しているわけではない。私も実際素晴らしいと感動してました。ただ、最近のメディアの報道の仕方には腹立たしいものがある。)バンコクでは目の見えない人がその辺で歌ったりミニピアノを弾いたりしていているのは普通の事です。
でも、日本ではそんな人見た事ない。
だいたい東京に出稼ぎにくるんでしょうか?
(五体満足のおじさんやおじいさんは新宿などに行けばいっぱいゴロゴロしていますが、、、汗)
先日エンポリアムデパート内で、子供が大変立派な創作物を作成した話を書きましたが、あれ、ホントにほぼ手助けされてないんですよね。やり方を教えてはくれますが子供が自分で作りました。
ちょうど昨日UPしてますが4歳児にも料理もやらせる。足のつかないプールでも泳がせる、、、。
日本にいればどれもこれも、「ちょっとまだ早くない?」とか「危ないよ~」とやらせないか、親がついつい手助けしてしまう事を子供にもやらせるバンコク。
子供の頃から色々違いがあるのでしょう。
どちらが良い悪いと言う話ではなく、今日は物乞いの方々から何かを学んだ様な気がして感慨深く感じました、というわけです。
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