原発や放射能に関しては日々思うことが色々あるがこちらのブログにはあまり記載していない。というのも、放射能による健康被害は統計的には十分に重大な被害があってもおかしくはないと個人的には思っているけど、科学的に実証されてはいないとも言えるし、なにしろ福島とチェルノブイリも状況は色々異なっているため、「誰も何が起こるのかを予想できない」ことについていろいろ語るのもなんだとおもっているから。
また、こちらのブログは目的がそのような予想を語る場にすることではないから。
しかし、今回は上記の一方で、保養を目的として行動をされる親子を私自身が受け入れていると言うのも事実もあるので、その方々の参考になれば、と言う気持ちで書いています。
実は私の最大の後悔は、、、
2011年3月11日の大地震発生時、私たち母子はたまたま有休を取って北海道に居たのです。
しかし、14日から東京で仕事だったため、13日に動かない交通網を遠回りしたりしながら無理矢理東京に帰ってきたのです。結果、東京のみなさまもご存知の通り、14日以降電車もかなり本数を減らすか止まるかし、会社サイドでも余震の心配、直ぐに通常通り稼働出来るわけでもなく、結局1週間休みになりました。更にそのあと1週間も「来れない人は無理して出社しなくて良い」と言う期間が続きました。ほとんどの社員はさすがに2週間目は出社していたのだけど、13日に無理矢理帰京しなければ少なくとも15日の最大のプルームが来た時に都内東側のプチホットスポット地区の公園で母子共におおいに遊んでいた、と言うことはなかったはず。
それがあったかないかでおそらく大きく私の気持ちや事情は異なっていたと思う。
外でおおいに遊ぶ子になって欲しいと朝、午後、行きたがれば夕方も公園などに連れて行くことを欠かさなかった我が家。たとえ雨の日でも公共の室内施設などに連れて行って遊ばせることを欠かさなかったため、当然その後放射能を含んだ雨が降った21日?22日も外出しているし、しかも水道水を飲んでいたため、雨の後、23日か24日に「金町浄水所からの水は数百ベクレル含んでいた!」なんて水も当然ガブガブ飲んでいたわけで、、、
なにしろ母子共になぞの下痢や湿疹、咳が止まらない、私の右目だけの視力低下、不正出血など色々あり、バンコクに来てほとんど回復しましたが目だけはやはり回復しません。チェルノブイリでも視力低下、白内障の進行など色々な方が書かれていて、日々恐々としています。子供はまだ症状をウマく説明出来るとはとても思えないのでなにかないのだろうかとも気になります。
で、バンコクに来ながらも初期被爆してしまったのでもうダメなのかも、、、と諦めている部分がありますw
でも、初期被爆を相当してしまっただろうから、、、どこに住んでも一緒だから、、、と保養にでることすら迷っている方。
こんな記事を発見しました。
猫山家の例。柏市からの移住。放射能から退避。
http://itosan.s365.xrea.com/ijyu/ijyu.html
この方の記事の中段(出典:週刊金曜日2011.10.14号P17 )と言う部分に最初に1000ベクレルの被爆をしても、その後気をつければ内部被爆も減っていく、というグラフがあります。この記事、詳細を読みたいものですが、、、。猫山さんに問い合わせればおしえてくれるかしらw
初期被爆をしてしまうともうダメ、みたいな記事も多いので個人的には励まされます。
チェルノブイリのかけはし
でも疎開まで出来なくても保養すれば回復する症状がある、と訴えられています。
と書きながらも私自身がいつまでこちらに居ることが出来るのか今のところ不明なところが一番の問題ではありますが(^^;)
まぁ、そんなことを思った今日なのでした。
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