心象を求めて Vol.2

木曽川を渡ると、目の前に立ちはだかる様に小高い山が居を構える。当然、鉄道もそこを登る事はせず、あたかもT字路の如く、左側に小川森林鉄道、右側に王滝森林鉄道本線と分かれていた。王滝森林鉄道本線に先立つ事10年程前に廃止されていた小川森林鉄道の軌道敷きは、20年前の訪問時にも既に荒れ地となっており、最初から藪こぎを強いられるのを嫌い王滝森林鉄道本線の軌道敷きを散策した記憶がある。



それにしても何という変貌ぶりだろう。その分岐点あたりから王滝森林鉄道本線があったと思われる方向には、全くの記憶に無い大きな自動車道があった。左上方向は、軌道上部の集落への小径であり、記憶の中にある風景を良く残している。それに比べて、この自動車道の味気ない事・・・。しかし、集落への小径は明らかに鉄道が上れない急勾配を呈しており、やむを得ず車道を木曽ダム方面に進んで行った。




私は自動車道を歩きながら、度々左側の擁壁を見上げた。もしかしたら、擁壁の上に当時の遺構のごく一部だけでも残っているかもしれない、と。ただ、それだけを頭に巡らせながら気がつくと1キロあまりも進んでいた。ところが、進めどもそれらしい様子は微塵にも感じられない。次第に焦りの色が濃くなってきた。




手元の携帯端末GPSに目をやると、この自動車道とほぼ並行して自動車道を見下ろす先ほどの小径が確認された。このまま進んでも何も見つからない、と判断した私はもう一度先ほどの分岐点に戻る事にした。途中、車しか通りかからない自動車道を歩く老夫婦に尋ねられた。


「木曾の桟はどちらですか?」


自分の記憶を頼りに木曽ダム方面である事を伝えると、笑顔で礼が返ってきた。心なしか、焦りを感じていた自分の気持ちも和んだ様な気がした。



改めて集落に続く小径を進んでみる。このあたりは、以前からあまり様子が変わっておらず、この道の曲線や勾配さえ緩ければ、かつて森林鉄道が通っていてもおかしくないと思える程心象に合致する。この道は、遠く東京都の三鷹市で運行が開始されたコミュニティーバスが走る道でもある。東京近郊では、採算も良く地元の足として重宝されるコミュニティーバスだが、遠くこの上松の集落では、上下を含めて日に4本しか運行されていない。しかも、その運行時期も限定的でとても実用的な代物ではなさそうである。



私は度々足を止め、見通しの良い場所で先ほどの自動車道方面を見下ろしてみた。何か、手がかりはつかめないか・・・。しかし、行けども行けども見あたるのは集落のみで鉄道のかけら程も見つからない。やがて、道は雑木林に覆われ昼間でも薄暗い場所にさしかかっていた。人気のないその場所で、私はあるものを目にする事になる。











つづく


Editor CABEZÓN


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