サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
EL WEBLOG DE LATIN FACTORY
旅程回顧
旅を終え、帰宅後に色々と調べ物をしてみました。特に気になった事は当然、、、
あの探し求めた隧道はどこにあったのか?
本当に消滅してしまったのか?
それとも現存しているが、今回たまたま発見できなかったのか?
この疑問を解明する為にとても役に立つサイトがありました。それは、林用軌道跡解体新書という、長野県から名古屋県にかけての林用軌道に関する情報を公開しているHPで、そこには現役時代の同じ隧道と思われる写真が掲載されていました(このページ再下段の方に写真があります)。また、そのサイトの掲示板から隧道の位置も判明してきました。
今回王滝森林鉄道本線を巡った際の行程を確認してみます。写真は国土地理院ウェブマッピングシステムから引用した昭和51年当時のものですが、黄色で記されているのが廃線跡、赤色で記してあるのが今回辿った行程となります。今回、木曾の桟で引き返した訳ですが、例の隧道の所在地は更に2キロ以上進んだ所だったらしい、、、
距離だけでも到達していなかった orz...
黄色い線が廃線跡と書きましたが、実際にはもっと先まで続いています。便宜上、ここで黄色い線を切ったのは、ここがその隧道の場所らしいからなのです。上記写真の該当する場所をもう少し拡大してみましょう。
写真の円の中、右下から窪地が円内に進み、円弧状で途切れますが、ここが隧道のあった場所だそうです。そして、写真を撮影した方向は矢印方向に、その円弧の切れ目を狙った事になります。
では、その隧道は現存しているのでしょうか?
残念ながら、林道建設時に埋められてしまったそうです orz...
今回の行程を振り返って、驚いた事がいくつかあります。まず、、、現在でも程々足に自信のあるCABEZÓNですが、20年前も王滝森林鉄道本線を10数キロ以上歩いていたという事実、それにもかかわらず全く疲れた記憶が無いのです。しかも、引っ張り出した写真を見てみると、どうやら普通に平地を歩く為の安物革靴を履いていたらしい(笑)。まぁ、身軽な格好だった様なので一概に比較は出来ませんが・・・。
また、この雑誌の地域見取り図に掲載されていた国民宿舎、子どもの頃からいつかは利用してみたいと思っていた場所でしたが、今回の宿泊で利用したねざめホテルは、偶然にもその国民宿舎そのものだったのです。もうちょっと味わっておくべきだったな(笑)。
更に、20年前の旅程を検証してみると、その時も最初に降り立ったのは木曽福島駅だった、、、三つ子の魂云々は言いませんが、似たり寄ったり、気がついたら深層心理にある記憶を追いかけていたのかも知れません。
最後に、今回の一連の記事を読んでくださった皆様に感謝申し上げます。いつもと違う様子に戸惑われた方もいらっしゃるでしょうし、年末からペンディングになっているライブレポートを懸念しなかった訳でもありません。しかし、自分へのケジメとしても書いておきたかった、、、そのような手前勝手な理由があったのです。最後までお付き合いいただき有り難うございました。
Editor CABEZÓN

