本当に実りの多い4日間でした。
日帝支配の末期には金はほとんど採掘されなくなっていましたが、銅の鉱山は採掘されていました。ここに連合国の捕虜収容所があり、1000人を超える人が銅の採掘に動員されていたそうです。このような収容所は台湾中に何カ所もあり、トータル5000人を超えるそうです。アメリカ兵とイギリス兵が主ですが、オランダ兵やオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、事情はよくわかりませんが南アフリカの白人兵もいたそうです。
台湾が戦場になった時には、捕虜虐待を隠ぺいするために、トンネルに捕虜を閉じ込めて生き埋めにする計画があったそうですが、運良く台湾は本格的な戦場になることはありませんでした。どの捕虜も栄養失調でやせ細り、それに伴う疾病、虐待で殺された捕虜はどれほどいたか。(人数は聞いたのですが、失念してしまいました。)坑道の温度は40度を超え、さらに襲う栄養失調と虐待……その過酷さは想像するにあまりあります。背丈以上の高さに横幅は何十mはある大きな石板に、小さな文字で苛酷な労働に従事させられていた名前がびっしりと刻まれていました。そしてそこにFREEDOM IS NOT FREEと刻まれ、中国語で自由には対価が必要という趣旨のことが書かれていたのが、胸にしみました。
中国人捕虜を労働力として鉱山に連行するという話はこれまでも聞いたことがあったのですが、欧米人もこれほど大規模におこなっていたとは知りませんでした。まだまだ知らなければならないことはたくさんあるのに、不勉強を思い知らされました。
この事実は、マイク・ハートという1人の在台湾カナダ人の熱意によって掘り起こされました。多くの歴史は個人の熱意によって残されます。ここもまたそうでした。その場所には様々なモニュメントが置かれています。悲しいのは、この事実を多く知られていないということです。『千と千尋の神隠し』の舞台となり、皇太子ヒロヒトの純和風迎賓館もある観光地で、この地を訪れる日本人が多いようには思えませんでした。
知らなければならないことはもっともっとあるし、知らせなければならないことももっともっとあります。
(からん)