LiveInPeace☆9+25

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

[書評]普天間を閉鎖した4日間 2012年9月27日~30日(高文研) 屋良朝博氏の記録を読んで

2012-12-18 | 沖縄

前回、「普天間を閉鎖した4日間 2012年9月27日~30日(高文研)」を紹介した。その内容について触れてみたいと思う。この本には、宮城康博氏と屋良朝博氏の記録が書かれている。フリージャーナリストで元沖縄タイムス社論説委員の屋良氏は、以前友人の米外交官が「労組や団体の抗議デモは、お昼の1時間だけ、ゲート周辺で騒ぐだけなので、フェンスの中の米軍にはなぜ騒いでいるのかさえ伝わらない。1週間くらい本気でゲートを封鎖するくらいやらないと、要求を通すことは出来ないよ」と言ったことを取り上げ、沖縄はもっと本気を示せと訴えた。

9月26日米海兵隊が岩国基地からオスプレイを28日にも普天間飛行場に移動させる方針を発表。27日早朝の普天間基地野嵩ゲート前座り込みには前日を上回る人が集まった。基地に通じる道路半分を占拠。人々の抗議で初めて普天間基地の鉄のゲート門が閉じられた。ここでは、「米軍基地は住民の理解なしに維持できないことを示した」と筆者はその特徴を端的に言い表している。

29日、住民が普天間基地の3ヵ所のゲートを完全封鎖、メインの大山ゲートに車両12台を並べることに成功。

30日、早朝から人々が大山ゲートに集まり、その車12台を取り囲むように座り込んだ。午後1時前、警察が強制排除に着手。警察がレッカー車で車の撤去を開始。野嵩ゲートで車両4台を横付けにした。午後7時、この日2度目の警察の強制排除の開始。座り込みをごぼう抜きにされた体は、警察の大型車両と機動隊員で作った囲いの「監禁場」=「野嵩ゲットー」に監禁された。「拘束する法的根拠を示せ」と市民は声を荒げた。午後11時半、4日間に及んだゲート封鎖は終わった。「普天間封鎖」は多くの人々によって成し遂げられた。私は歴史を画する行動だと感じた。

12月23日(日)に オスプレイ配備撤回!米兵による凶悪事件糾弾!怒りの御万人大行動 が行われる。私も参加し、この運動の輪に加わっていきたい。

http://www.peace-forum.com/mnforce/2012/05annai/1223okinawa.html

(ルーラー)

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。