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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

内田樹氏のブログ─いじめについて

2012-07-15 | 大阪「教育基本条例」
大津市の中学生の自殺が大問題となっている。
「教育委員会は機能していない」、「学校には任せられない」、「政治が責任を持つ組織にしなければならない」といった、橋下大阪市長の主張を裏付けるように、教委や学校の対応の無責任さが糾弾されている。

批判は当然だ。が、教委と学校を批判すれば事足りるという風潮は危うい。それだけでいじめはなくならない。

橋下の進める「教育改革」推進はいじめをなくすどころか、それを大幅に悪化させるのは間違いない。
競争至上主義で、今以上に優勝劣敗を進めれば、子どもたちの抱えるストレスがどうなるか、火を見るよりも明らかだ。

そうなってからでは遅い。何とか今のうちに歯止めをかけたい。

内田樹氏のブログのエントリ「いじめについて」に、大いに共感したので、紹介させていただく。
 
by ウナイ



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1 コメント

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Unknown (ロットン)
2012-07-30 13:24:55
 社会評論として的を射ている部分もあると思いますが、やはり違和感も感じます。内田氏の論評はいつも鋭いですが、少し若者を画一的にみているところがあるのではないかと思います。

特に気になった点1
「周囲の子供たちが無能であり、無気力であり、学習意欲もない状態であることは、相対的な優劣を競う限り、自分にとっては「よいこと」だからです。」
→これは必ずしもそうではありません。勉強でも運動でも競い合って成長します。無気力で学習意欲のない友達といたら面白くないし、逆に勉強で負けたら次はがんばって勝とう思います。またスポーツはチームワークです。そこで作られる仲間は一生の宝です。そのような喜びを、事件に関係した生徒たちが味わえなかったのは不幸と言うしかありません。
 「よいこと」なら放っておいたらいいのですが、「ムカつく」からいじめるのです。
 大津で犠牲になった子は、クラブでも活発で陽気な性格だったと報じられています。決して、「 無能」「無気力」ではありませんでした。

特に気になった点2
 「いじめ」は個人の邪悪さや暴力性だけに起因するのではありません。それも大きな原因ですが、それ以上に、「いじめることはよいことだ」というイデオロギーがすでに学校に入り込んでいるから起きているのです。
→「「いじめ」は個人の邪悪さや暴力性だけに起因するのではありません。それも大きな原因ですが、」
 「いじめ」が個人の邪悪さや暴力性が原因としているような論評は存在しないのではないでしょうか。でも内田氏は「大きな原因」としています。もちろん、邪悪さや暴力性を取り上げるにしてもそれが何によって生み出されたのかという問題になると思います。

→“「いじめることはよいことだ」というイデオロギーがすでに学校に入り込んでいるから起きている”というのはあまりにも単純化しすぎです。70年代80年代から(あるいはもっと以前から)いじめはありました。今のイジメと質的に違うという面はあるかもしれませんが、いじめはイデオロギーによって起きるのではないと思います。

 大津市の中学校で保護者説明会が開かれ、700人の保護者が参加しました。アンケートでは多くの生徒たちが、いじめを告発する内容の記述をしていました。内田氏のいうとおりなら、「いじめはおもしろい」「死んだヤツがわるい」「いじめられる方にも問題があった」というような記述が大半を占めるはずです。
 いじめはなくせないと思います。なぜ防げなかったのか、なぜあそこまでエスカレートさせてしまったのか、なぜ被害者の生徒は助けを求められなかったのかなど、なぜいじめがあるのかというのとともに、いじめがあったときにまわりがなぜサポート出来なかったのかということも大事だと思います。

 自由を奪われた、逃げ場のない、閉鎖された空間に毎日通い続けなければならないという現在の学校、直接的には教師や塾、家によって縛られた学校生活そのものがいじめを生み出しているのだと思います。
 一般的に言えることですが、「いじめはダメ」「みんな仲良くすべき」「差別はいけない」と思っていても、自分が所属する閉鎖的空間の中では知らず知らずのうちに自らが「いじめ」にくわわっていることもあるのです。
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