昨夜(AIRの旅・7)ではほんとに最悪でした。最悪というか、自分の愚挙に言葉も出ません。初めから現金を用意しておけば、3時間以上も時間を無為に過ごすことなく、ベットでゆっくり足を伸ばして熟睡できたのです。
結局は車で寝ることになり、そして…夜が明けます。
横を通り過ぎる車の音でおいらは目が覚めます。時計を見てみるとちょうど6時ぐらい。またもや寝坊…。
ぎょええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!
朝っぱらからおいらの断末魔の悲鳴がこだまします。
日の出を見たいというおいらの夢と希望は、ここで粉々の木っ端微塵、宇宙の塵と化しました。
でも、しょうがないです。これが我に課せられた宿命・宿便ならば、受け入れて前に進むしかない。
気持ちを切り替え、まだ朝靄のかかる国道を香住町へ向かって走り出します。
20分ほどで街に到着。昨日とは打って変わって街は静かです。まだ早朝、しかも日曜日とあって当たり前ちゃあ当たり前ですが。一度は足を踏み入れた街なのですが、今じゃ全くの異空間・異世界、セフィーロです。港へ続く道を走るにつれ、心がざわめき出します。
たいていの人もそうだと思いますが、おいらは忙しい日常生活で景色を気に留めることなどあまりありません。特に、それが都会の無機質なビルやコンクリートなら尚更です。
おいらがこうやって一人旅をする時、感覚のスイッチが切り替わります。何かを色のついたセロファンを通して見るように、世界が変わるのです。むしろ、普段の生活してる時に、モノクロのセロファンを通して世界を見ているんでしょう。それは、感覚への道をふさぐシャッターみたいなもんかもしれません。
しかし、それが取り払われた時、空はいつも以上に高く、海の色はいつも以上に鮮やかに見えるのです(ってか何が「見えるのです」だ、ばかやろうこんにゃろうめ)。
スイッチが切り替わった時、同時に自分の中にもう1人の自分が月光仮面のように颯爽と現れます。普段は、だんまりを決め込んでいてあまり話すことはありません。倦怠期を向かえ、気まずくなったカップルのようです。
月光仮面は、中畑清のように絶好調です。堰を切ったように、おいらにいろいろと際限もなく話しかけてきて、うるさくてたまらないほどです。見るもの聞くもの、感じる全てのものが彼の中で咀嚼され、それが言葉となって自分の中にあふれ出てきます。
今走っている静かで何気ない香住町の街並みも、ただ通り過ぎるだけではいられません。ここに暮らしている人々の営みを想像してしまうのです。どんな暮らしをしているのか、大きな欲も無く、ただ毎日静かに暮らすことに幸せを感じるのか、ここで生まれた若い人たちは、きっと都会に夢を求めて街を出て、一年に何回は分からないけど、そこで得たものをおみやげに持ち帰って、家族に話したりする、ここもそんな街なのだろうか、この街を出たことがない人たちは、こことは比べ物にならないくらい時間が速く進んで、何かに追い立てられる世界や人々がいるのが想像つかないだろう、そんなことをとめどなく考えてしまうわけです。まあ、最終的には、
「こんなド田舎クソ田舎には自分は死んでも住めねえ。ってか、死んじゃう死んじゃう。」
と思うわけですが。
なんか語りが長くなってしまいましたが、街を通り抜けてやってきたのが港。AIRといえばやっぱり海。そして、往人さんが行き倒れになって運ばれたのが漁港。
うーん、まさにAIRの世界観です。
港の端っこまで行き、岸壁のところで車を止め、漁港を写真に収めます。もう太陽は地平線を過ぎており、空はなんともいえない青さで澄み切っておりました。
次に向かうべき場所は、やっぱり神社!この街にもちゃんと神社があるのです。ネットから得た情報では、なかなか分かりにくい場所にあり、同じようにこの場所に来た先人達はそれを見つけるのに何時間もかかった様子。そんな英霊たちの屍を乗り越えて、私たちは存在しているのです。靖国万歳!
岸壁から車を引き返し元の道に戻ると、曲がり角にはこんな朝っぱらからじゃりどもがたむろしておりました。
てめーら、一体何の理由で、しかもここぞとばかりに曲がり角に群がっているのだ?それがおまえらの人生の曲がり角かこのやろう!
無性に怒りがこみ上げ、鳥居がある本来行くべき道を直進せずに、全然違う方向へ車を向けてしまいました。どうかしてる…。
なんとか自分を取り戻し、そして道も引き返し、鳥居がある細い道へ車を進めると、またもやガキどもが!
しかも、さきほどいたじゃりとは比較にならない程の数量で、おいらの行く手をさえぎっています。その小道の脇には小さな公民館のような建物があり、朝から何らかの催しものがあるようで、そこに有象無象と集まってると判断されます。
もちろん、そのガキどもをちぎっては投げちぎっては投げ、車でばったばったと轢き倒しながら進みたかったのですが、一応、この世には刑法という法律があることを知っていたので、やめておきます。
神社は小高い丘に位置しており、その入り口に行く途中はけっこうな坂を上っていくことになります。そうしてたどり着いた神社の入り口。周りを木に囲まれ、荘厳な雰囲気をかもし出しています。
かなり途中ですが、AIRの旅・9へ続く
結局は車で寝ることになり、そして…夜が明けます。
横を通り過ぎる車の音でおいらは目が覚めます。時計を見てみるとちょうど6時ぐらい。またもや寝坊…。
ぎょええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!
朝っぱらからおいらの断末魔の悲鳴がこだまします。
日の出を見たいというおいらの夢と希望は、ここで粉々の木っ端微塵、宇宙の塵と化しました。
でも、しょうがないです。これが我に課せられた宿命・宿便ならば、受け入れて前に進むしかない。
気持ちを切り替え、まだ朝靄のかかる国道を香住町へ向かって走り出します。
20分ほどで街に到着。昨日とは打って変わって街は静かです。まだ早朝、しかも日曜日とあって当たり前ちゃあ当たり前ですが。一度は足を踏み入れた街なのですが、今じゃ全くの異空間・異世界、セフィーロです。港へ続く道を走るにつれ、心がざわめき出します。
たいていの人もそうだと思いますが、おいらは忙しい日常生活で景色を気に留めることなどあまりありません。特に、それが都会の無機質なビルやコンクリートなら尚更です。
おいらがこうやって一人旅をする時、感覚のスイッチが切り替わります。何かを色のついたセロファンを通して見るように、世界が変わるのです。むしろ、普段の生活してる時に、モノクロのセロファンを通して世界を見ているんでしょう。それは、感覚への道をふさぐシャッターみたいなもんかもしれません。
しかし、それが取り払われた時、空はいつも以上に高く、海の色はいつも以上に鮮やかに見えるのです(ってか何が「見えるのです」だ、ばかやろうこんにゃろうめ)。
スイッチが切り替わった時、同時に自分の中にもう1人の自分が月光仮面のように颯爽と現れます。普段は、だんまりを決め込んでいてあまり話すことはありません。倦怠期を向かえ、気まずくなったカップルのようです。
月光仮面は、中畑清のように絶好調です。堰を切ったように、おいらにいろいろと際限もなく話しかけてきて、うるさくてたまらないほどです。見るもの聞くもの、感じる全てのものが彼の中で咀嚼され、それが言葉となって自分の中にあふれ出てきます。
今走っている静かで何気ない香住町の街並みも、ただ通り過ぎるだけではいられません。ここに暮らしている人々の営みを想像してしまうのです。どんな暮らしをしているのか、大きな欲も無く、ただ毎日静かに暮らすことに幸せを感じるのか、ここで生まれた若い人たちは、きっと都会に夢を求めて街を出て、一年に何回は分からないけど、そこで得たものをおみやげに持ち帰って、家族に話したりする、ここもそんな街なのだろうか、この街を出たことがない人たちは、こことは比べ物にならないくらい時間が速く進んで、何かに追い立てられる世界や人々がいるのが想像つかないだろう、そんなことをとめどなく考えてしまうわけです。まあ、最終的には、
「こんなド田舎クソ田舎には自分は死んでも住めねえ。ってか、死んじゃう死んじゃう。」
と思うわけですが。
なんか語りが長くなってしまいましたが、街を通り抜けてやってきたのが港。AIRといえばやっぱり海。そして、往人さんが行き倒れになって運ばれたのが漁港。
うーん、まさにAIRの世界観です。
港の端っこまで行き、岸壁のところで車を止め、漁港を写真に収めます。もう太陽は地平線を過ぎており、空はなんともいえない青さで澄み切っておりました。
次に向かうべき場所は、やっぱり神社!この街にもちゃんと神社があるのです。ネットから得た情報では、なかなか分かりにくい場所にあり、同じようにこの場所に来た先人達はそれを見つけるのに何時間もかかった様子。そんな英霊たちの屍を乗り越えて、私たちは存在しているのです。靖国万歳!
岸壁から車を引き返し元の道に戻ると、曲がり角にはこんな朝っぱらからじゃりどもがたむろしておりました。
てめーら、一体何の理由で、しかもここぞとばかりに曲がり角に群がっているのだ?それがおまえらの人生の曲がり角かこのやろう!
無性に怒りがこみ上げ、鳥居がある本来行くべき道を直進せずに、全然違う方向へ車を向けてしまいました。どうかしてる…。
なんとか自分を取り戻し、そして道も引き返し、鳥居がある細い道へ車を進めると、またもやガキどもが!
しかも、さきほどいたじゃりとは比較にならない程の数量で、おいらの行く手をさえぎっています。その小道の脇には小さな公民館のような建物があり、朝から何らかの催しものがあるようで、そこに有象無象と集まってると判断されます。
もちろん、そのガキどもをちぎっては投げちぎっては投げ、車でばったばったと轢き倒しながら進みたかったのですが、一応、この世には刑法という法律があることを知っていたので、やめておきます。
神社は小高い丘に位置しており、その入り口に行く途中はけっこうな坂を上っていくことになります。そうしてたどり着いた神社の入り口。周りを木に囲まれ、荘厳な雰囲気をかもし出しています。
かなり途中ですが、AIRの旅・9へ続く
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