悪天候と食糧危機の中、屋久島山中でその困難をなんとか乗り越えようとしている男たちの凄絶な生き様を世に示すべく、屋久島旅行記その5が始まります。
寒さと飢えの中、ただ何もせずに時間が過ぎるのをじっと待つというのは耐え難い苦痛でございました。堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでいたわけです。しかし、朕としてはここで簡単にポツダム宣言を受諾せしめるわけにはいきません。
寒さだけでも何とかしなければ!
保温効果を高めるため、まず、両膝を立てて体育座りの姿勢になります。そして、自らがまとっている上着を膝から足先まで覆いかぶせます。
この状態は、俗に言う「ペットントン」状態と呼ばれているものです。小学校時代、冬の体育の時間というのは非常に寒く、このペットントン状態に陥る人達が全国で続出していたという旧厚生省の報告もあります。
ぼくは、しばしば、この状態で、よだれを垂らして笑いながらピョンピョンとあたりを飛び跳ねたりしていたので、着ていた服はびろんびろんに伸びきり、また、つまづいて前に並んでいたクラスメイトに頭から突っ込んでひんしゅくを買ったりと、そういった事件・事故が多発しておりました。
むろん、寒さと飢えの極限状態の中で、そんな昔のことを懐かしむ精神的余裕は当時の私には全くありません。このとき、懸念される一番の問題というのは、おいらのクラスメートの一人がやたらにその状態をペットントンだと言っていたが、ほかにそのように言うものは誰もおらず、果たしてそれが全国区であったのかが未だに謎である、ということなのです。川口探検隊でもその謎は解明されないでしょう。
そんなこんなで、時折、M君と会話しながらなんとか時間が過ぎるのを待ちます。やがて雨も上がり、空もだんだんと明るくなってきました。
やっとこの無間地獄から解放される!全国です。人の世に熱あれ、人頭に光あれ。
即座に荷物をまとめ下山準備に入ります。
ほんとにここの天気は変わりやすい!雨が上がると同時に雲も晴れ、木の葉の間から太陽の光が差してきていました。
下山途中に見た、木の葉についている雨の雫が太陽の光で反射している様子は、この世のものとは思えないほど神秘的な輝きを放っていました。まさに神秘の世界です。岩永哲哉も桜井智もびっくりです。
そして、靴や衣服が泥で汚れながらも、無事にふもとまでたどり着きます。登山口にはタクシーが停車していたので、観光案内所等がある市街地までタクシーで向かいました。
市街地に到着。M君がお金を下ろしたいというので銀行へ直行。しかし、銀行に入った次の瞬間にある異変に気づきます。
その異変というのは、ある分子が鼻の粘膜に存在する嗅細胞を刺激し、その刺激が一種の電気信号となって大脳皮質まで届いた時に起こったものです。
つまり、異臭、悪臭、刺激臭。異論!反論!オブジェクション!!のような知性が溢れ出ていますね。
(二人とも)登山と夏の熱気で多くの水分を消費した体内は、汗腺からの発汗作用により、鳳凰寺風も真っ青な緑の疾風をその身にまとっていたのです。そして、その暖かな風が室内に入ったことで循環され、僕達の鼻先を優しくなでていったわけです。
風はいい…。きっとこの風は、何事にも動じず、いつもじっと同じところで瞬き続け、私たちを見守ってくれることでしょう。
我々は、お互いを果てしなく遠ざけ得るその存在に初めて気づき、顔を見合わせ苦笑いすることしかりです。屋久島を離れる前にどこでもいいから風呂に入れるところを見つけようと、次の行動に移ります。
海沿いまで歩いていくと、一応風呂に入れそうな建物を発見。外観はめちゃめちゃボロいほったて小屋のような感じで一抹の不安を隠せません。是非もないので、とりあえずはそこで汗を流すことに。
浴場はその建物とは別の場所にあったのですが、そこは仕切りも何もない、外からは丸見えの状態で位置しておりました。
設備もお世辞にも良いとは言えません。にしては、料金がべらぼうに高かった記憶があります。
こーゆう、劣悪、粗雑、蒙昧、迂愚が四重奏を奏でているような場所は熱核攻撃で宇宙の塵となればいいのです。
そうして、最後までいろいろあった屋久島を昼過ぎには後にします。M君とは西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)でバイバイし、短いようで短かった屋久島の旅も終わりを告げることとなりました。
屋久島・後記に続く
寒さと飢えの中、ただ何もせずに時間が過ぎるのをじっと待つというのは耐え難い苦痛でございました。堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでいたわけです。しかし、朕としてはここで簡単にポツダム宣言を受諾せしめるわけにはいきません。
寒さだけでも何とかしなければ!
保温効果を高めるため、まず、両膝を立てて体育座りの姿勢になります。そして、自らがまとっている上着を膝から足先まで覆いかぶせます。
この状態は、俗に言う「ペットントン」状態と呼ばれているものです。小学校時代、冬の体育の時間というのは非常に寒く、このペットントン状態に陥る人達が全国で続出していたという旧厚生省の報告もあります。
ぼくは、しばしば、この状態で、よだれを垂らして笑いながらピョンピョンとあたりを飛び跳ねたりしていたので、着ていた服はびろんびろんに伸びきり、また、つまづいて前に並んでいたクラスメイトに頭から突っ込んでひんしゅくを買ったりと、そういった事件・事故が多発しておりました。
むろん、寒さと飢えの極限状態の中で、そんな昔のことを懐かしむ精神的余裕は当時の私には全くありません。このとき、懸念される一番の問題というのは、おいらのクラスメートの一人がやたらにその状態をペットントンだと言っていたが、ほかにそのように言うものは誰もおらず、果たしてそれが全国区であったのかが未だに謎である、ということなのです。川口探検隊でもその謎は解明されないでしょう。
そんなこんなで、時折、M君と会話しながらなんとか時間が過ぎるのを待ちます。やがて雨も上がり、空もだんだんと明るくなってきました。
やっとこの無間地獄から解放される!全国です。人の世に熱あれ、人頭に光あれ。
即座に荷物をまとめ下山準備に入ります。
ほんとにここの天気は変わりやすい!雨が上がると同時に雲も晴れ、木の葉の間から太陽の光が差してきていました。
下山途中に見た、木の葉についている雨の雫が太陽の光で反射している様子は、この世のものとは思えないほど神秘的な輝きを放っていました。まさに神秘の世界です。岩永哲哉も桜井智もびっくりです。
そして、靴や衣服が泥で汚れながらも、無事にふもとまでたどり着きます。登山口にはタクシーが停車していたので、観光案内所等がある市街地までタクシーで向かいました。
市街地に到着。M君がお金を下ろしたいというので銀行へ直行。しかし、銀行に入った次の瞬間にある異変に気づきます。
その異変というのは、ある分子が鼻の粘膜に存在する嗅細胞を刺激し、その刺激が一種の電気信号となって大脳皮質まで届いた時に起こったものです。
つまり、異臭、悪臭、刺激臭。異論!反論!オブジェクション!!のような知性が溢れ出ていますね。
(二人とも)登山と夏の熱気で多くの水分を消費した体内は、汗腺からの発汗作用により、鳳凰寺風も真っ青な緑の疾風をその身にまとっていたのです。そして、その暖かな風が室内に入ったことで循環され、僕達の鼻先を優しくなでていったわけです。
風はいい…。きっとこの風は、何事にも動じず、いつもじっと同じところで瞬き続け、私たちを見守ってくれることでしょう。
我々は、お互いを果てしなく遠ざけ得るその存在に初めて気づき、顔を見合わせ苦笑いすることしかりです。屋久島を離れる前にどこでもいいから風呂に入れるところを見つけようと、次の行動に移ります。
海沿いまで歩いていくと、一応風呂に入れそうな建物を発見。外観はめちゃめちゃボロいほったて小屋のような感じで一抹の不安を隠せません。是非もないので、とりあえずはそこで汗を流すことに。
浴場はその建物とは別の場所にあったのですが、そこは仕切りも何もない、外からは丸見えの状態で位置しておりました。
設備もお世辞にも良いとは言えません。にしては、料金がべらぼうに高かった記憶があります。
こーゆう、劣悪、粗雑、蒙昧、迂愚が四重奏を奏でているような場所は熱核攻撃で宇宙の塵となればいいのです。
そうして、最後までいろいろあった屋久島を昼過ぎには後にします。M君とは西鹿児島駅(現:鹿児島中央駅)でバイバイし、短いようで短かった屋久島の旅も終わりを告げることとなりました。
屋久島・後記に続く
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