代理は、ちょっと、不思議な体質かもしれない。
ただ、高校時代とか、同じような体質をもっている友人がいて、
後年、なぜ、そんな「不思議な体質」をもつにいたったか
二人の共通点と、それを解き明かしてくれる人物にであえたことで、
一つの結論に至っている。
簡単に言うと、
「死に目に合っている」というのが、共通点。
友人のほうは、中学生のころに交際?していた男の子が死んでしまい
あとおい自殺をおこなったということだった。
代理のほうは、同乗していた車が半回転して
側溝に落ちたことがある。
その半回転している瞬間
「死んだ!!」と思った。
結果、軽いむち打ちくらいで済んだのだけど
無事だと判った瞬間でてきた言葉は
「生きてる!!」だった。
ヨハネの黙示録の様子を再現して
王任三郎がラッパをならさせて、
「私はキリストだ」と、やったことについて
「騙り」扱いになっているが、
このあたりも、別段、「騙り」ではない。
他にも、スサノオになってみたり・・・
と、いろいろ、行っている。
そのことと、代理と友人の不思議な体質を考えてみると
王仁三郎は、「騙り」でやっているのではないことが判る。
王任三郎の特異体質は
「腹が痛む」などという可愛らしいものではない。
脳?に疑似体験させることで、
なにかをつかみ取るということや、
周りの人間を含め、疑似体験させることで
「護り」にはいるということも考えられる。
このあたりのことは、
古神道とか、霊的なこととか
判らない人間にとっては
自分の体験・見聞などから類推するしかないのだが
けして、「騙り」などではないことだけはわかる。
どういう仕組みになっているのかまでは、判らないが
一度、死に目にあうと、第6感かなにかが、
活性化されるのだと思える。
現代脳科学でも、証明されていることなのだけど
「脳は、夢とか、強い衝撃とかに対して
これは、実際に体験したことだ」と、認識する場合がある。
つまり、代理も友人も
「死に目にあった」=「死んだ」と「脳が認識している」可能性がある。
他の人でも、こういう経験があり
その事例を見ている限り、
本来、死んだかもしれない運命だったところが、
脳の疑似体験=現実体験に認識され
すでに、死んでしまったので、
「死んだかもしれない運命」を、乗り越えてしまったとしか
思えないこともあった。
で、代理と友人の細部にわたると違ってくると思うが
不思議な体質は
「負の感情をかけられると、腹(おへそあたり)が痛む」
と、いうのがある。
実際に、代理にあったことだけど、
銭湯にいって服を脱ぎだしたころに
猛烈に腹が痛む。
突然、襲ってきた痛みは
腹の中・・へそをひきちぎろうとでもするような痛みだった。
すると、一緒にいた友人が
「あ~~~!!覗き~~~~!!」と大声で叫んで
その「覗き」の人間を追っ払った。
それが、契機といっていいか、
なにか、キリキリと腹が痛む。シクシクと痛むなど
症状は違うが、
間違いなく、「負の感情」を受けたときにおこる、と、
判ってきた。
まあ、そのころからいえば40年ちかく
その「不思議な体質」につきあってきているわけで
この「負の感情」を、こちらに「言葉」で言ってくる人などにたいしては
腹がいたむことはないのだけど
自分の中だけで抑え込んでいる人は
漏れてしまうのか、こちらに「打撃」として受け止められてしまう事がある。
いわゆる、生霊という観念に近いのかもしれないが
それが、昨夜の歴史記事をあげたあとに
ひさしぶりに
「ぴりぴり」と、来た。
無論、誰か判らないのだけど・・・
代理の記事のなかで、
その人にとって
なにか、気に障ること
腹の立つことでも、書いてあったのだろう。
ウガヤフキアエズ王朝実在論さまが読んでいるとは思えないのであるが
怒らせちゃったのかな?と、心配したり
刮目天さまのような、しっかりした論点を構築していないという弱みで
もしかして、刮目天さまを怒らせちゃったかな?
(と、いいつつも、きていらっしゃらないと思える)
と、どうも、自分のひけめばかり、きになったまま寝付いた。
そして、今朝になったら、
ある読者登録が削除されているのに気が付いた。
確か、岡山の人だったと思う。
岡山の神武天皇を否定されたように思われて
腹が立ったのかもしれない。
こういう「妙な体質」については
あまり知られていないことだと思う。
その大きな原因も解き明かされているのだけど
あまりにも、不思議なことなので
ここは、おいておく。
と、いうより、自分でははっきり確認できないことなので
説明ができないというのが本当か。
いずれにせよ、
なにかしら、こちらの「出し方」に配慮がたりないという
「不足」が原因で
怒った?相手が悪い、と、言っているのではない。
まあ、ネットというヴァーチャル世界でありながら
そのネットのうしろにいる人間の「感情」が伝わってきたり
逆に、神道家の方がきて、
「今、しんどいだろう」と尋ねる。
確かにぐらぐらした感じで、ボーと頭がかすんでいたのだが・・・
「ん。憑依されてるから払う」と、払ってくれたらしく
「楽になった」
憑依したものについても、年齢や性別や特徴を伝えてくれたが
一切、覚えがなかったが
後日、それがだれか判ったし
憑依した理由もわかった。
ある時、
ーまだ、居るーと漠然と感じていたことがあった。
払われているので、直接憑依が出来ないのだろう。
近くにいるとどうしても感じるし
その人に関わる「話」がネットを通して
何度も見受けられるので
「払われても、成仏?できていないのではないか
なにか、思いが残ってるのだろう」
と、思っていたところに
出版社の方から連絡があり
話の内容が「ある人(憑依した人)」とかかわりのある話になり
誤解させてしまっているだろうことの、実情を話すことになった。
すると、その後から
ぱたりと気配が消えた。
おそらくであるが・・・
幽霊????は電話を聴いていたのだろう。
それで、納得して成仏??したのではなかろうか?
それは、自分だけが思っている状態から
相手(代理)のいう意味合いを理解したことにより
自分の思い(誤解)から解き放たれたという事になる。
そんなことを考えると
負の思いを抱きかかえたまま
あるいは、こちらに寄ることで
負の思いを持ってしまうのなら
離れることが第一だと思う反面
一度思ってしまった
「怒り」のままが、氷解しないのは
本人にとって、どうなのだろうとも思う。
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