猫は 天性のハンター
狩りを しなくてもすむ 生活をしていても
狩猟本能は持っているため
外出自由な子は 飼主のもとに
鳥や虫を せっせと 運んできます
この時期 ミータは 蝉狩りに 勤しみ
必ず に 持ち帰り オモチャにして 遊びます
遊び飽きた後 食べたりはしないので 亡骸の処分は パパが担当
ママは 蝉が大の苦手
幸い 今年は 蝉の捕獲も無く ホッとしていたのも束の間…
ついに その日は 来てしまった…
明け方 外出から戻ってきた ミータは無言……
何かを 咥えている 証拠
蝉では無く 代わりの… 蝉よりも 大きな
蛾
証拠写真を 撮る余裕も無いくらい
これは 大き過ぎ まだ バタバタ 息の根が…
蝉・以外なら ママでもなんとか 処分は出来るけど
瀕死状態では… パパを叩き起こした
この日から 連日 明け方4~5時の間に 何かが届く…
翌日も 少し小さめな 蛾…
そして 3日目
何か咥えてます
ヤモリでしょ~か
すでに 尻尾は もうありません…
オモチャにしてます…
足の指(?)も ありません
この後 ミータは 止めを刺したようで…
また パパを叩き起こし 処分させました
連日の 騒動で パパは寝不足 辛い日々が 続きました
4日目は トンボ
死亡が 確認されたので パパは起こさず 処分は ママが
5日目 最後も 蛾
羽を バタバタ 瀕死の状態…
寝不足のパパを 労わり ママは勇気を出して
処分に 挑んだのでした
連日 朝方に届いた 黒猫ヤマト=ミータの宅配
悪夢のような 5日間でした
その①
きてます! きてます!
小声のお告げ
8月17日の ロ ト 6
ママが 買ったのは コレ!
そして
抽せん結果は こちら
惜しいでしょ~ みんな 掠ってるゥ~
今回は 03 08 17の 3つだけ当たった
1,000円ゲット 元はとったけど・・・
あ~ぁッ・・・ 悔しい・・・
その②
願いの ピノを 探せ
果たして 結果は・・・
またもや み~んな ハ・ズ・レ
「ここに幸あれ。。。」の まっちゃんなんて
1箱の中に 2つも入ってたんだよ
そんなの ありですか
まだ 1度も お目に
かかったこが 無いって 人も居るというのに・・・
この挑戦は 今回をもちまして
終了と させていただきます
今後は 願いの星に 拘らず (懲りずに )
pino アイスを 楽しみま~す
その③
お隣に お住まいの 推定 インドの方
2ヶ月位前のこと パパが あちらの ご主人と
玄関先で 初顔合わせ 「こんばんは」と 声をかけてみた
すると 日本語で 「コンバンハ」 だって
パパは出掛け あちらは に入るところ
男同士 立ち話も 無く それだけ・・・
収穫は 挨拶程度なら 話せるのかな
そして 先日 ついに
ウチ(ママとパパ)が 出かけようとしてた時
あちらの お母さんと お嬢ちゃんも 出かけるところ
お隣同士の 初顔合わせ
ママは パパに 肘で合図
(なんか 話しかけなよ )
パパは お嬢ちゃんに 「お名前は?」って 聞いてみた
すると 「サ~*#:」と 答えてくれた
声も小さかったせいか よく聞き取れなくて
もう1度 聞いてみた
マジ 「エッ 」って感じ 発音がよくわからない
お母さんも 「サ~*#:」って 2~3回
言ってくれたけど 聞きとりずらい
何度も 聞いては 失礼なので
「サ~ニャ」ちゃんってことで
次ぎに 「何歳?」 と 尋ねたところ
「3歳」は チャンとわかった
ママの 「インドの方ですか?」の 質問に
「ハイ ソウデス」と 日本語は上手かった
あまり長話(数分のことだけど )も 悪いので
「バイバ~イ」と言って 別れた
そして サ~ニャちゃん(仮名)も
可愛く 「バイバ~イ」を 言ってくれた
お母さんの 推定年齢は 30歳チョイ前くらいかな
これだけの 会話に 4ヶ月も かかってしまった・・・
カレーを 教わるのに あと 何年かかることだろ~
「墨田川・江戸文化観光振興会」という NPO法人が 主催する
「第1回 大東京 和おどり」という
イベントが開催されます
今年が第1回目の記念すべき年
「和おどり」は 午後6時にスタート
浅草会場と墨田会場 2ヵ所のやぐらから出発し
踊り手を中心に 3,000人を集め
隅田川両岸と 吾妻橋・桜橋を結ぶ 約2.5㌔を1周
東京音頭に乗って 世界最大規模の 盆踊りが
2時間にわたって 繰り広がれる模様
盆踊りの様子を DJがナマ実況! 世界へネット配信
踊り手たちが 世界最大の 「和」になるまでの模様を
見物客向けに ナマ実況するため 総合司会は
ラジオのパーソナリティーでお馴染みの
梶原しげるさんと なぎら健壱さんによる
会場の様子と イベントのレポートを
ラジオ中継の 要領で会場100箇所に 設置された
スピーカーと インターネット配信で 楽しめるそうです
盆踊りの「和」が世界の「和」へ
「大東京 和おどり」は 日本人だけでなく
世界中の人々が参加することです
世界のいろいろな国の人々が協力し
世界の「和」づくりに貢献する――そんな意味合いもあり
今回のイベントをきっかけに日本のみならず 全世界に平和を願う
“BON Dance”ファンを増やし
隅田川発のインターナショナルな
盆踊り大会として 定着させたい 考えだされたそうです
みなさんも 新しい歴史の始まりに 参加してみませんか
盆踊りは 夏を中心に 日本各地で行われ
楽しみながら 地域の和を育む 日本の伝統行事ですが
盆踊りについては さまざまな説があります
お盆に戻ってきた精霊を 慰め餓鬼や無縁仏を 送るための踊りという説
お盆の供養のおかげで 成仏することのできた亡者たちが
歓喜する姿を 表現したという説
お盆に戻ってきた精霊たちを 踊りに巻き込みながら
送り出すためという説
悪霊や亡者たちを 踊りながら追い出す ものといろいろです
いずれにしても 祖先たちの精霊のために踊るものですが
私たちが 祖先に感謝し 生きていることの喜びを
表現するために 踊ると考えてもよいでしょう
高橋英樹さんがチラッと説明してたある事に
「へェ~~~ そ~だったんだ~」と関心してた
ママの耳は ダンボに なっていた
ある事とは・・・ 隅田川で花火を楽しむ風習が生まれたわけ
それは 両国川開きのきっかけでもあり
享保17年(1732)に起こった大飢饉
この年は 西日本一帯に いなごの大群が 発生するなど
例年にない 凶作となり 多数の餓死者が出て
更に 疫病(コレラ)が流行して 多くの死者を出すなど 散々な年でした
これを重くみた幕府(8代将軍吉宗)は 翌18年(1773)5月28日(旧暦)
死者の魂を鎮めるのと 悪霊退散の祈りを込めて
隅田川において 水神祭を挙行し
両国橋のたもとで花火を打ち上げました
この折 両国橋畔の料理屋が 公許を得て 同日 川施餓鬼を行い
これが後年 川開きとして 年中行事化されていったのでした
川開きは例年5月28日 この日から8月28日までの3ヶ月間は
隅田川に涼み船を出すことが許可され
その初日に花火が上げられたそうです
それが 遊び上手で 派手好きな 江戸っ子の心を捉え
次第に 現在のような 娯楽を目的とした
華やかなものになっていったんですね~
そして そんな江戸時代の 花火の隆盛を 担ったのが
花火師の 鍵屋 と 玉屋 だったんですね~
素晴しい花火を 見た時に掛ける 掛け声
花火といえばつきものの 伝統的な あの2つ
「かぎやぁ!」 と 「たまやぁ!」
あの掛け声 どんな謂れがあるか 知ってました~?
実は江戸時代の 『鍵屋』 と 『玉屋』 に由来してまして~
江戸時代 打上げ・仕掛け花火製造の元祖が「鍵屋」
初代の鍵屋弥兵衛という大和(奈良)の人が1658年に創始
鍵屋は 1659年に 江戸で店を開き
一代で幕府御用達まで務めるようになりました
幕府の「のろしかた」を見て仕掛け花火を考案
隅田川の川開きに両国橋の花火が
江戸の大イベントになっていった1808年
7代目鍵屋の時 番頭清吉を両国に別家して「玉家」を称して以来
鍵屋は両国橋の下流 玉屋は上流を受け持ち
それぞれの技を競うようになったんです
あの 「かぎやぁ、たまやぁ」の掛け声は
見事な花火が打ち上げられる度に
打ち上げた 花火師に対して
応援する為の掛け声だったんですね
この玉屋の人気は 鍵屋をしのぐほど 高かっ頃から
浮世絵の画題としても 花火が多く 登場するようになりますが
もっぱら描かれているのは玉屋であり
このことからも 玉屋のほうに人気が あったことが察せられます
花火技術も 優れていたんでしょうね その証として
「橋の上 玉や玉やの声ばかり なぜに鍵やといわぬ 情けなし」
といった歌も残っています
ところが いいことばかりは 続きませんでした
「玉屋」 火事を起こし 江戸払いとなる
「玉屋」は11代将軍家斉の時 火事を起こし40~50戸を焼いたため
江戸御構となり 一代で断絶するが その名だけは残る
天保14年(1843)4月17日 玉屋は失火によって全焼
町並を半丁ほども類焼させてしまいました
当時 出火は重罪であり
しかも 将軍家慶が日光へ 参拝に出かける 前日であったため
玉屋は江戸払いの罪を科せられ 追放処分となってしまいました
江戸庶民の 絶大な人気を 集めた玉屋も
一代限りで その家名を 断絶したのでした
結局 鍵屋・玉屋の時代は 32年間で幕を閉じましたが
玉屋の名は 江戸庶民の間に 語り継がれ
其の後の 花火大会でも 江戸っ子達は
「かぎやぁ~」「たまやぁ~」と 歓声を上げて見物しました
現代では 「ワー」という 歓声に変わり
「かぎやぁ~ たまやぁ~」と 叫べば 場違い・・・かと思われます
日本人で最初に花火を見たのは 徳川家康らしい
花火は以前 通信の手段であった狼煙(のろし)に由来する
これを家康の花火鑑賞に火をつけ 花火作りが始まったとされてます
中でも家康の故郷でもある三河では 今も花火作りが盛んで
有名な伝統花火 『金魚花火』が大量に生産されてま~す