ハンドメイドlu-x(るっくす)

手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

ストラップにスクナヒコナヾ(*´∇`)ノ

2011年02月23日 | アクセサリー
こんにちは~^0^

今日は ぷち旅にっきはお休みね^^;

たまには作品紹介したいな~なんてネ( ̄▽ ̄;)ゞ

以前からとても気になっていたパーツがありまして、
男女兼用のストラップに使ってみたいと思ってたので、
思い切って入手してみました。

その気になるパーツはね~^^

アイヌの木彫りなんだ♪

アイヌの木彫りとパワーストーンを使ったストラップなんてどうかなぁ~って。。

でも、金具を使うと、おNewなケータイをキズ付けたりしないかしら。。
と、考え込み、極力金具を使わずに作れないかと試行錯誤してました。

で、遂に完成☆

こんな↓感じになりました。


ヘンプ(麻)の編み方とホイミの自己流をmixして編んでます。
ひとめひとめ、手で編むので、終始無言~(笑)

他のビーズ類の制作では、ホイミ鼻歌混じるんデスけどね・・もう終始集中ーーーっ!!! 

ミサンガとかのいずれ切れてOKなアクセサリーや毛羽立って風合いが出るヘンプ(紐)も良い素材だけれど、ストラップはカンタンに毛羽立ってきて切れちゃイカンので・・

だから使った紐はヘンプではありません。
ヘンプよりも強い紐を吟味して選びました。


中央の黒っぽいのがめちゃめちゃキレイなピーターサイト。
赤いのはカーネリアン、フリンジさせてる紐の先のは赤メノウ。

下に下がっている細長くカッコイイパーツはウッドです。


カラーもレッド・ブルー・ブラックの3色。
それぞれにストーンを変えて作ろうと思います。
形はこの他にもあるの^^

アイヌパーツを繋げるために丸カンをひとつ使いました。
この丸カンはシルバー925で口を封じた丸カンなので、紐から外れる事はありません。


このアイヌパーツ、ステキな模様をひとつづつ彫って、繊細な色付けをするための特殊なスプレーを使った着色方法。 と~っても柔らかな色が出ています。 この着色技は熟練しないと難しいんだ~

アイヌの人の手によってひとつひとつ作られた手作りのパーツ。
スタイリッシュな形とデザイン性豊かな柄にしばし息をのんでしまいます。

ずっと眺めていると、まるで※コロポックルがそっと息を吹きかけたような優しさも感じられます。

恥ずかしがりやさんなコロポックルが優しさと、自然の力で持ち主さんを元気にしてくれるでしょう。



今日はお天気が良くなくて、ピーターサイトのすんばらしい柄がちゃんと写っていませんね;;;(残念><)

※コロポックル
むかし、アイヌコタン(村)に幾日も幾日もの長い間厳しい寒さが続き、
アイヌコタン(村)の人々は食べる物もなく寒さと飢えのために大変こまっていた時、
どこからともなく現れ毎日の様に山の幸を運んでくれる者がありました。
そのおかげでアイヌコタン(村)の人々は飢え死にせずに生き延びることが出来ました。
後に蕗(ふき)の下に住んでいる小人のおかげとわかり、アイヌコタン(村)の人々はその小人をコロポックルと呼び、幸せを運ぶ救いの神様、願いの神様として祭るようになったと伝えられています。

コロポックルとは、アイヌ語で蕗(ふき)の下の人、地下に住む者の意味なの^^
アイヌの伝説にでてくる小人の神で、いたずらも時にはしますが、人間に幸せをもたらしてくれる神さまなのヾ(*´∇`)

古事記や日本書紀にもね、 

”波の彼方より天乃羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って来訪した神さま”の”スクナヒコナ(少彦名)”という大国主の肩に乗ってしまう程の小さな小さな神さまが居て、大国主の国土造成に協力した神様が居たんだけどね、スクナヒコナはきっとコロポックルなのよ~きっと♪

って古代ロマンに 

モエ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モエ

してしまうんデスょ((((((≧∇≦))))))にゃはは

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ホイミが作ったブックマーカーなどをmari-momo.iさんがブログでご紹介くださっていますsmilesmile

mari-momo.iさんのサイト

まりももさん♪有難うございます!

 近々、またこのブックマーカーシリーズもショップに登場しますので、お楽しみに~!

ぷち旅~京都・奈良編*10 虎の穴・・じゃなくて、鼻の穴(笑)

2011年02月22日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅~京都・奈良編*10 です。
 (いつもながら 長いね;;;スンマソーm(_ _)m)

奈良の大仏さんの左右に蓮の花を模したオブジェがあるんです。
挙げているほう(右手)の手の平に丁度その蓮のオブジェの花がすっぽり入るように写真を撮ると、良い事があるとか。。(後で知った^^;)

ホイミの撮った画像の中にないかなぁ~と探したけれど、先にご紹介したこの画像↓が実におしい~~っ!!!ホイミ、残念賞っ!

今後行かれる方は、手の平の真ん中に花が入る様に撮影しましょうね~☆~(ゝ。∂)

大仏さんを一目見て、ホイミがジー(@@`)と凝視して動かなくなった部分は、大仏さん・・・ではなくて、 その蓮の花のオブジェと、大仏さんが座っている蓮の花の台座。

花のオブジェ↓


この↑どこが気に入ったかっつうと、
蓮の花じゃなくて、花器にとまっている蝶々item3item3

蝶々の胴体が細かく作られていて、アクセサリー以外に樹脂粘土で動物のオブジェ作ったりしているホイミですから、こういう立体的で細かい細工のオブジェには特にトキめいてkirakiraしまうんだニャ(=^エ^=)

別に、ココに蝶々無くても別段okok2なオブジェなのに、わざわざ蝶々をくっつけてキューツ!!に仕上げちゃうセンス♪ この花器をデザインした人にgoodグッジョブ!clap

大仏さんの台座に後光を思わせる背もたれ(大仏さんは後ろにもたれてはないけれど^^;)のデザイン&細か過ぎる細工と流れるような流線形~

古美術に興味があるっちゅうワケでは無いんですが、細かい技を感じずにはいられませんっ!

大仏さんの後ろはどうなっているんでしょう。。




ほぅ~後ろ姿も手ぇ抜いてませんな。

光量不足で鮮明に写せなかったのが残念^^;

大仏さんの左右には、脇侍として木造の如意輪観音坐像と虚空蔵菩薩坐像が鎮座しており、どちらもキンピカkirakira



そして、その背後には、西方を護る守護神で四天王神の広目天像や北方を守護する四天王神の多聞天像(毘沙門天)が立っていました。
 (他の四天王神・持国天、増長天は未完成のままだそうです)

おや?長い列が出来てますね。。


列の先には・・・あっ^0^

そうそう♪ 大仏さんの鼻の穴くぐり♪


柱に四角い穴が開いてまして、
この穴をくぐるんデス(=^エ^=)♪

この穴の大きさは大仏さんの鼻の穴と同じぐらいのサイズなんですって。

やりたいっ!! ホイミくぐった事あるんだけれど、若い時にさ。。
今よりもポッチャリしてたけど、くぐれたんだよpeace

助さんは、ウソだー!って信じてくれにゃい。。ぷんっ!

その時は、こんなにいっぱい人が並んではいなかったけれど。。余裕でくぐれたんだもんっ!!

子供が殆どだけど、大人も並んでるし~証明して見せるわっ!!!
 
  εεεεε┏( ・_・)┛スタタタ

ぐふふふ。。((^。^)ノ ホイミ 行っきまぁす♪

とりゃぁ~~~っ!


ぐ。。。引っかかった~><

  ジタヽ( ̄△ ̄ゞ=ヾ ̄△ ̄)ノバタ

((((((≧∇≦)))))) なぁ~んちゃって♪

並んでいた大人は子供の付き添いの親達ばかりで、子供達の写真を撮って楽しんでいましたので、穴潜り隊 隊長のホイミとしては、実に残念ではありますが、今回はエンリョさせてもらいました~^^;(もっと空いている時に出直したるっ!)
   この穴をくぐって何の御利益があるかと言うと、、
   子供の寝小便が治る・無病息災のご利益だそうです。
   ちなみに、過去に22歳の女性がチャレンジして引っかかって出られなくなった・・・なんて事が有ったらしいょ。ホイミも出られなくなっちゃうかもだね~( ̄▽ ̄;)ゞぽりぽり 

モジモジ君の全身タイツならOKか?((((((≧∇≦))))))ぎゃはは

でも、穴を大はしゃぎでくぐる子供達の笑顔がみんな良かったでした^^*

今日は ここまででぇす(=^エ^=)w

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ぷち旅~京都・奈良編*9 後光をどうじょ(=^エ^=)w

2011年02月21日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅~京都・奈良編*9 ですぅ~

奈良・平城宮跡地探索の後に向かうは、東大寺大仏殿。
奈良公園に隣接する春日大社へ初詣に来た人達と思い切りバッティング。

駐車場がmanmanmanman(T▽T)

私達は初詣はとっくに済ませたので、春日大社には用事が無いんだよぅ~(;´▽`A``

周辺をぐるぐると回りに回って結局大きめ(?)の興福寺駐車場で空き待ち。
2時間以上待ってやっと駐車できました。いやぁ~マイッタマイッタ( ; ̄ω ̄)ゞ

鎌倉の大仏さんの時もだったけど、奈良の大仏さん見学もハードルが高いゃ;;
(行く日が悪いんだょね( ̄▽ ̄;)ゞ)

駐車場からまた徒歩です( ̄ー ̄;

まず、登大路園地(広い草っ原です。)の中をテケテケ歩いて、

国立博物館↑の横を通り過ぎ、

おせんべいをおねだりする鹿ちゃんに悪いね^^;持ってナイのだヽ(^_^;))((^。^;)ノ


大仏さんへまっしぐらな私達εεεεε┏( ・_・)┛

まずは、大きな南大門をくぐります。


南大門は、左右に※阿吽(あうん)の表情をとった高さ8.4mの仁王像が向かい合って立っています。
※阿吽・・左に口を開けた阿形の密迹金剛さんと、右が口を閉じた吽形の那羅延金剛さん

よそのお寺だと、仁王像は外側に向かって仁王立ちして外から来る人に威圧感を抱かせますが、ココのは違います。(しかも、なぜか立ち位置が一般的のとは・・左右逆なんです^^;)

東大寺は、受け入れるお寺でなく、施しのお寺だとのことで、敢えて外に対して向き合う必要がないのだそうです。

確か。。学生の時、テストの問題に、東大寺南大門の仁王像の作者は?
という問いが出たと思うんですが、私が習ったのは、吽形像は運慶作で、阿形像は快慶作でした。

しかし、近年の解体修理で吽形像は湛慶(たんけい)作で、阿形像は運慶と快慶作と判明したのだそうです。 湛慶という名前は初めて知ったのですが、どうやら、湛慶は運慶の息子だったらしいです。総括責任者は、運慶だったそうですが、湛慶が一人で吽形像を受け持って、快慶が阿形像を担当し、運慶は監督だったみたいです。

さっ^^ 次へ進みますよー♪(バスガイドさんニャ(=^エ^=)w)

少し歩くと、中門(ちゅうもん)がありまして、

こちらには、中門は二天門となり兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん ・多聞天)像と持国天像が向き合っておられますです。

中門にて、大仏殿の拝観料を支払います。(大人500円・子供300円)


大仏殿(金堂)

世界最大の木造建築物です。
金堂というより大仏殿の方が知れ渡っているね。
本尊を安置する仏堂が金堂と言われるのは近畿と山陽地域に限られてるんですって。

間口は現在は7間(57m)ですが、建設当初のサイズは11間(88m)だったんだって。
現在の大仏殿は江戸時代、あまりにも建築費が高額のため、間口が創建当時の11間から7間に縮小して再建されました。

とにかく、大きな大仏さんを囲い込む建物を造るためには、大きな柱となる巨木がたくさん必要。けれど、この時代、巨木は非常に入手し辛かったとのことです、各所に苦肉の策の痕が見られます。 (寄木作りの柱で金具で縛って一本の柱にしてあります)

大仏殿に入ったらすぐ正面にドーン!と大きな大仏さんが鎮座しておられます。







ワタシには、大仏様がハァ~イ♪こっち来なされ~♪と手をあげているように見えるんですが・・・(わはは) 皆さんはどうですか?

大仏さまの後光はとどきましたでしょうか?((((((≧∇≦))))))

長くなってしまったので、今日はここまででっす^^*

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ぷち旅~京都・奈良編*8 謎は謎のままでも可なり。

2011年02月20日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅~京都・奈良編*8 でぇす!

奈良・平城宮跡地を探索していましたが、
大極殿は2つあり、1つは前回ご紹介しました。

もうひとつは真横(東)に全く同じ配置で建てられていたことがわかり
現在調査中だそうですが、中に入れます。

第二次大極殿跡地

先に紹介した大極殿と全く同じ造りの足場だけがあります。

足場の部分に上がったら、柱の跡がポコポコあります。


石の土台の上に柱になる木を立てて置き、屋根を乗っけて屋根の重みだけで立つ宮島(広島)の鳥居さんみたいな感じなのかしら。。???
建物は寄せ棟造りですけれど。。。

先の記事で、なぜ2つの大極殿があったかというくだりで、40年ほどで老朽化したから、隣に立て直したっていう話ともうひとつの話があるんですよ。。

最初に大極殿を建てて、使ってたんだけど、あの時代の人は、何かあると、すぐに都を移す習慣?みたいのがあってね、
30年ほどはこの平城宮跡地に有ったけれど、一時的に京都府下の加茂(木津川市)の恭仁京に移しちゃったんだって。
で、大極殿は、解体して、恭仁京に移送したんだそうです。
だから、持ち運び便利な組み立て式建造物 大極殿(笑)なんだわ(笑)

でも、恭仁京も5年程でや~めた!ってまた奈良に戻ってきちゃったけれど、元の所に戻すのは気が進まないってで(?)隣に建てちゃえ!みたいな(爆)

で、平城宮が都でなくなる時、またどっかへ移送しちゃったんだって。
それが、京都の平安京へ移送されたかどうかはわからないけれどね。

で、今復元されている建物も想像上の造りなので、復元された=実際に有った建物とは言い切れないんです。
だって、実際の建物のスケッチなど一枚も残ってないのですもの。
想像上の空想の中の建物なのですょ^^;

まぁ、あの時代に建った東大寺大仏殿が、創建当初~鎌倉再興時も江戸時代に建てられた現在のものにいたるまでが、すべて寄せ棟造りだったから、多分、寄せ棟造りでしょう~!みたいな感じかな。
ほかに、入母屋造りってのもあるけれど、どっちかと言えば、寄せ棟造りのほうが格上だから。。かな(。・ω・。)

ま、そんな裏話もあるっちゅう事も楽しいじゃないですか~♪
空想=ロマンは果てしなく有ったほうが、事実を知るよりも面白い気がしてきます。


最後に、平城宮の模式図を。

手前が大極殿、中央の縦に並列しているのが朝堂院、上の中央の門が朱雀門です。

京都でも随分歩いたし、平城宮だけでもかなり歩きましたから、かなり足が・・キテます;;;

  ぷち旅って結構歩いているんですよ^^;

次回は、今回少し触れた東大寺です。
 大仏さんの後光に触れてみましょう(=^エ^=)w

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ぷち旅~京都・奈良編*7* 古都奈良へ

2011年02月19日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅~京都・奈良編*7 でぇす♪

次は奈良へ行くと決めて、八坂神社からトコトコと預けている愛車君の方向へ歩き出したのですが、

途中、おお~!祇園だぁ~~っ!!
たくさんの観光客ですね。


”お茶屋さん”って言うんでしょうか芸姑さん遊びが出来るお店。。
そういうのが軒を並べているんでしょうな。
ぱっと見、よくわかりませんでしたけど^^;

※祇園の料亭は自ら料理を作らず仕出屋から料理を取ります。
 だから祇園の料亭は 、料亭ではなく、お茶屋と呼ばれるんですって。



祇園のほんの入り口付近(?)を通っただけでしたけれど、
夜だったらまた風景も変わるのでしょうねぇ^^

愛車君をピックし、奈良へと目的地をセットし走り出したのは良いのですが、四条→九条へと進めた頃、既に夕暮れ時になっていました。
す~ごい渋滞で、四条→九条の短い距離に2時間かかるなんて。。
ほんっとに渋滞だらけなのよ京都って><

渋滞を進んでいると、東寺(とうじ)の五重塔が見えてきました。

木造塔では日本一高い54.8m。ライトアップされていますね。

東寺は世界遺産として登録されており、創建から1200年、平安遷都とともに建設されたものです。(過去4回焼失しているようですが) 
弘法大師(空海)が唐の国で学び、持ち帰った新しい仏教(密教・真言)の寺院として、当時の天皇・嵯峨天皇により、国立の建物として初めて建てられた寺院なのだそうです。(塔が完成した時にはもう空海は天上へと旅立った後だったそうですが)

この五重塔には唐から持ち帰った数々の仏様アイテム・金剛界四仏像と八大菩薩像が安置されており、初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像が描かれているのだそうです。

九条を過ぎたら渋滞は無くなり、イッキに奈良へ。
奈良公園の鹿でも見ようかと真っ暗になった奈良公園にやってきたものの、駐車場が無くてウロウロ。。 疲れてきて、もうホテルで休みたい。
また明日、奈良は観光しましょう~
あらかじめケータイで予約しておいたホテルに宿泊。

次の日、朝から、ホテルの朝食バイキングをたらふく食べて、いざっ出動よっ!

ホテルの近くに平城宮跡がある。 
近くだからと、歩き出したが、やはりナビ君の距離感は徒歩では遠い。

20分ほど早足で歩き、やっと到着。

遷都1300年祭が終わって、すっかり観光客もまばら。
(前回、奈良に来た時は、夜、通りかかっただけだったので、あまりちゃんと見られなかったから^^リベンジね^^)

今度は徒歩で来ているから、駐車場無くてもヘイキよ!

敷地内に入ると。。。あらら;;;駐車場は、広大にあり、ガラ空きゞ(_△_;〃ピクピク
こんな事なら、車で来れば良かったな。。と大後悔。

まず、朱雀門がある。


朱雀は南を守る火の鳥ですね。

平城宮はやたら広い。(約120ヘクタール)

ここにかつて立派な建物が整然と立ち並び、政治が行われていたんだなぁ。。

ご存知のとおり、古都奈良の平城京は、京都の平安京の原型であり、東西南北を碁盤の様に綺麗に作られた計画都市です。

そして、この平城宮は北端に置かれ、天皇の住まいである内裏即ち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙の所謂外朝から成ります。

周囲は5メートル程度の大垣が張り巡らされ、朱雀門を始め豪族の姓氏に因んだ12の門が設置され、役人等はそれらの門より出入りしたとの事。

南の朱雀門から入り、左右にこんもりと盛り上げられた縦長の敷地↓

朝堂院と呼ばれる建物の跡で、いくつもの部に分かれた仕官(役人)が働く建物が建てられていたようです。遠くに見えるのが大極殿です。
 東京都庁とか県庁みたいなお役所って感じでしょうか^^


やっと大極殿に到着。朱雀門から真北に位置します。
 
復元されているのは第1次大極殿。↑

実は平城宮は2つの大極殿と2つの朝堂院があったようです。
今、ご紹介した敷地と全く同じものが東側にそっくりあるのです。
これには驚きましたが、現在復元中で、まだ柱の跡しか見られません。
なぜ2つ同じものを作ったのか??

第一次大極殿を建ててから約40年で、老朽化したので、丸ごと隣に建てちゃったって事なんですって^^

その第二次大極殿の跡地は次回ご紹介しますね。

今日はここまでです(=^エ^=)w