今年のカンヌ映画祭の様子。上記は映画「CHE」の監督、出演者ら。
映画「それぞれのシネマ(カンヌ国際映画祭60回記念製作映画)」
カンヌ映画祭開催にリンクして、昨年、同映画祭の60回を記念して世界の名だたる映画監督たちが、たった3分間の持分だが「映画館」をモチーフに競作した短編映画集がコレ。
その監督の顔ぶれたるや、キアロスタミ、カウリスマキ、カンピオン、クローネンバーグ、オリヴェイラ、ルルーシュ、ポランスキー、フォン・トリアー、ヴェンダース、エゴヤン、モレッティ、ヴァン=サント、アンゲロプロス、イニャリトゥ、リンチ、ポランスキー…など総勢32名。
アジアからはチェン・カイコー、ウォン・カーワイ、チャン・イーモウ…など中国勢が多く、日本からは北野武だけだったのがとても残念。もっと日本の映画監督が入ってもいいように思うのだが。
個別の作品を観て行くと、「映画館」という決められたテーマを基に、少なからず似た視点を取り上げた作品も見受けられる。例えば過去のスターへのオマージュ、視覚的な媒体である映画と視覚障害者、スリ、戦争など。
しかし、監督それぞれの個性がまったく別の作品として独立させている。
たった3分の中に、その監督の他作品にも流れる撮り方やストーリー性、個性があり、エンドロールで名前が出なくとも滲み出て来るのが映画の素晴らしさだろう。カンヌでは上映されなかったデヴィッド・リンチ作品などは、3分間で「ツイン・ピークス」や「マルホランド・ドライブ」が凝縮できる=監督の作品全てに流れる共通テーマが感じられたし、これはラース・フォン=トリアーやシェーン・カンピオンやウォン・カーワイにも言える。
また、アンゲロプロスのようにジャンヌ・モローという大女優を配し、亡きマルチェロ・マストロヤンニという大俳優に敬意を払うというつくりも映画の良さであるし、ポランスキーのようにちょっとエッチな「艶笑」も、映画になると憎めないコメディー感があり、映画というものの奥行きを感じる。
こういった点を感じながら見ていくととても面白い。
やはり、各自たった3分間だが、エンドロールのキャスト・スタッフ・関係者の膨大な手を経て映画は作り上げられていることを改めて感じるとともに、その素晴らしさを感ぜずにはいられない。
5月30日まで、ユナイテッド・シネマ豊洲で期間限定上映
http://sorezore.asmik-ace.co.jp/
映画「それぞれのシネマ(カンヌ国際映画祭60回記念製作映画)」
カンヌ映画祭開催にリンクして、昨年、同映画祭の60回を記念して世界の名だたる映画監督たちが、たった3分間の持分だが「映画館」をモチーフに競作した短編映画集がコレ。
その監督の顔ぶれたるや、キアロスタミ、カウリスマキ、カンピオン、クローネンバーグ、オリヴェイラ、ルルーシュ、ポランスキー、フォン・トリアー、ヴェンダース、エゴヤン、モレッティ、ヴァン=サント、アンゲロプロス、イニャリトゥ、リンチ、ポランスキー…など総勢32名。
アジアからはチェン・カイコー、ウォン・カーワイ、チャン・イーモウ…など中国勢が多く、日本からは北野武だけだったのがとても残念。もっと日本の映画監督が入ってもいいように思うのだが。
個別の作品を観て行くと、「映画館」という決められたテーマを基に、少なからず似た視点を取り上げた作品も見受けられる。例えば過去のスターへのオマージュ、視覚的な媒体である映画と視覚障害者、スリ、戦争など。
しかし、監督それぞれの個性がまったく別の作品として独立させている。
たった3分の中に、その監督の他作品にも流れる撮り方やストーリー性、個性があり、エンドロールで名前が出なくとも滲み出て来るのが映画の素晴らしさだろう。カンヌでは上映されなかったデヴィッド・リンチ作品などは、3分間で「ツイン・ピークス」や「マルホランド・ドライブ」が凝縮できる=監督の作品全てに流れる共通テーマが感じられたし、これはラース・フォン=トリアーやシェーン・カンピオンやウォン・カーワイにも言える。
また、アンゲロプロスのようにジャンヌ・モローという大女優を配し、亡きマルチェロ・マストロヤンニという大俳優に敬意を払うというつくりも映画の良さであるし、ポランスキーのようにちょっとエッチな「艶笑」も、映画になると憎めないコメディー感があり、映画というものの奥行きを感じる。
こういった点を感じながら見ていくととても面白い。
やはり、各自たった3分間だが、エンドロールのキャスト・スタッフ・関係者の膨大な手を経て映画は作り上げられていることを改めて感じるとともに、その素晴らしさを感ぜずにはいられない。
5月30日まで、ユナイテッド・シネマ豊洲で期間限定上映
http://sorezore.asmik-ace.co.jp/