映画「ボーは恐れている」
ホアキン・フェニックス主演のこの作品。
他には真似できない、オリジナリティーのある作品だった。
冒頭は、ボーという冴えない中年男性の目から見た、部屋の外の怖い状況や群衆を映し出す。これは本当か、彼の頭の中だけの想像か。
そんな中、母親の誕生日祝いに出かけなくてはならないのに、出かけるときにアクシデントがあり、パニックとなってしまう。
危ない人々が部屋になだれ込みめちゃくちゃに。逃げ出して飛び出し、車に衝突してしまい…。
主人公は、情緒不安で薬を飲んでいるが、いつもと違う薬を処方されている。
水とともに飲むこととあるのに水が出ないという状況からパニックを起こし、大きな状況になっていく。
目覚めると、親切な家族の家。ここに戦争でPTSDを負った元兵士が間借りしていることから、また大騒動に。
ここを出て、主人公は森へ逃れる。そこには芝居小屋と野外演劇を見に来た観客たちが集っていておだやかな雰囲気。
主人公はまたここで妄想する。
このシーンが、急にアニメになって、これが素晴らしい。絵本で「木を植える人」があるが、そのアニメーションを観たことがあり、それに似た画法でつづられていく。ここだけでも見る価値あり。
また騒動が起きて、ラストへ。
とってもきれいな絵本のような夜空だなと思って見ていると…。
最後のシーン、無人飛行機が裏返っているように見えた。
そして、昔の映画で「ポゼッション」という映画を思い出した。イザベル・アジャーニとサム・ニールの夫婦が異星人の出現で壊れていく話で、蛸のような異星人とのラブシーンや、サム・ニールの一人2役、ラストの子供が空の風呂の中で「怖いよ怖いよ」と言って足をバタつかせているなど、初めて観たときは何じゃこりゃと思ったのだが、ずいぶん経ってから、戦争の脅威を描いていると知って、なるほどと思った次第だ。
なんだか、「ポゼッション」の子供と主人公のボーが重なって見えた。
エンドロールがそのシーンのまま流れるので、とても余韻があり、立ち上がって帰る人があまりいなかったのも印象的だ。
ホアキン・フェニックス主演のこの作品。
他には真似できない、オリジナリティーのある作品だった。
冒頭は、ボーという冴えない中年男性の目から見た、部屋の外の怖い状況や群衆を映し出す。これは本当か、彼の頭の中だけの想像か。
そんな中、母親の誕生日祝いに出かけなくてはならないのに、出かけるときにアクシデントがあり、パニックとなってしまう。
危ない人々が部屋になだれ込みめちゃくちゃに。逃げ出して飛び出し、車に衝突してしまい…。
主人公は、情緒不安で薬を飲んでいるが、いつもと違う薬を処方されている。
水とともに飲むこととあるのに水が出ないという状況からパニックを起こし、大きな状況になっていく。
目覚めると、親切な家族の家。ここに戦争でPTSDを負った元兵士が間借りしていることから、また大騒動に。
ここを出て、主人公は森へ逃れる。そこには芝居小屋と野外演劇を見に来た観客たちが集っていておだやかな雰囲気。
主人公はまたここで妄想する。
このシーンが、急にアニメになって、これが素晴らしい。絵本で「木を植える人」があるが、そのアニメーションを観たことがあり、それに似た画法でつづられていく。ここだけでも見る価値あり。
また騒動が起きて、ラストへ。
とってもきれいな絵本のような夜空だなと思って見ていると…。
最後のシーン、無人飛行機が裏返っているように見えた。
そして、昔の映画で「ポゼッション」という映画を思い出した。イザベル・アジャーニとサム・ニールの夫婦が異星人の出現で壊れていく話で、蛸のような異星人とのラブシーンや、サム・ニールの一人2役、ラストの子供が空の風呂の中で「怖いよ怖いよ」と言って足をバタつかせているなど、初めて観たときは何じゃこりゃと思ったのだが、ずいぶん経ってから、戦争の脅威を描いていると知って、なるほどと思った次第だ。
なんだか、「ポゼッション」の子供と主人公のボーが重なって見えた。
エンドロールがそのシーンのまま流れるので、とても余韻があり、立ち上がって帰る人があまりいなかったのも印象的だ。