日々雑感

日々の思いを書く

福岡大空襲-2

2005-06-19 22:57:43 | Weblog
この時間(22時50分)B29の大編隊がそろそろ福岡上空に来つつあったのです。人々は眠りについて
いた頃でしょうね、敗戦まじかの今頃を思い出します。西部軍管区情報でラジオから****敵大編隊足摺岬、豊後水道、国東半島、を本土に接近中と、そして警戒警報発令~空襲警報発令 の サイレンが鳴り響き家族で防火頭巾をかぶり防空壕に(たしか近くの公園にあった)家にも床下に防空壕を掘った記憶があります。防火演習には大人の出番で子供の私達は見学でした。中学校では銃剣術の訓練、軍事教練(学校には配属将校が居た)で将校の号令で教練、教科もあったように思います。B29:竹槍訓練などと思いますが精神的には勝っていたのです。警戒警報で電球には黒い布を被せました。天井板はなくなんとなく不気味でした。こうして書き進んでいるとタイムスリップしてしまいます。夜間の空襲では探照燈に照らされたB29きっと搭乗員も怖かったでしょう。もう戦争は
そして国と国との諍いは懲り懲りですね。仲良く助けあい地球に住む人々に争いのない地球を夢見ましょう。(前回の文中誤字あり、天上板>天井板**短探燈>探照燈に訂正です)

福岡大空襲

2005-06-19 18:41:22 | Weblog
昨夜の放送で60年前の福岡大空襲を見ました。今日がその忌まわしい日だったのです。夜も更けた11時過ぎ焼夷弾にによる無差別爆撃である。20年3月10日の東京大空襲の無差別爆撃に始まり本土はB29による無差別の洗礼を受けるようになったのです。北九州の空もB29の爆撃で八幡の殆どが焼土となった。その日の事は今でも鮮明に覚えている。夜間の空襲から昼間の空襲が多くなってきました。高度も低くなりB29の機影も大きくなってきました。あの爆音もはっきり記憶にあります。
昼間の空襲で一機の日本の戦闘機(たしか月光でした)が体当たりする光景も見たのですB29の機体が空中分解落下傘で降りる米兵も見ました。夜間の空襲で短探燈に入るB29***いまになって思いますがすでに迎え撃つ飛行機もなかったのです。
今日のその日福岡大空襲での焼夷弾は1525トンだったそうです。空襲が激しくなってから、家の
天上板を剥いだ記憶があります。焼夷弾が天上板に引っかかるのを防ぐためだったのでしょうか?
いま思えば馬鹿げています。焼ける町、逃げ惑う人の群れ、生き地獄だったでしょうね、お母さんが子供に覆いかぶさって焼け死んだ親子、こんなことを(戦争)何時までも続ける下等動物の人間
にいつかは鉄槌が下されるしょう、20世紀は戦争の世紀でしたが、21世紀は平和な世紀でありたいものです。60年前の今日を思い起こして最後に(南無阿弥陀仏で締めくくります)。