一宮市尾西資料館前 資料館内
船橋再現2 船内部1
御座船 案内板
船橋掛け跡地前 船橋掛け跡地碑
船掛け跡碑 案内板
*船橋跡!
住所=一宮市起字下町211~168-1
*将軍・朝鮮通信使・八代将軍「吉宗」の生母の通行にさいして、
船橋を架けました。長さ855メートルという日本最大の船橋です。
延享5年(1748)朝鮮通信使通行のおりには、延べ7578人の人足、
大小277隻の船を近郷の村々から集めて架設と撤去の作業をしました。
この年5月16日の渡橋にそなえ、2月19日から架設作業の開始、
6月16日一行の帰路通過後、7月4日に撤去を終り、約4ヶ月半余の日数
をかけました。
*御召船の屋形!
起渡し場には常時3隻の定渡船のほか、鵜飼船17隻馬船14隻がおかれ、
20人の船頭がいて尾張藩より扶持米が与えられました。
渡し場は藩の御舟手奉行のもとに船庄屋と船方肝煎がいました。
藩と関係の深い通行者には、船2隻の上に屋形を組み、御召船としました。
内部は畳3枚分の広さです。 大名などが船に乗り降りのさいには,
船がゆれないように船押し人足が川中から背中で船の両側を押さえました。
*史跡! 起渡船場跡~船橋跡!
舟橋とは、船を並べて繋ぎ止め、その上に板などを渡した橋である。
美濃路では、木曽川・境川・長良川・揖斐川の渡船場に、朝鮮通信使、
将軍といった特別な通行のためにのみ、船橋が架けられました。
木曽川の起の舟橋河戸に架けられた船橋は、全長850m前後、
船数は270艘を越える日本最大の船橋で、当時は起川船橋と呼ばれた。
宝暦14年(1764)の朝鮮通信使の来朝を最後に、架けられることは
無くなったものの「尾張名所図会」は、起川船橋を「海道第一の壮観」と
称し、また朝鮮通信使の一行も、舟橋の壮大さを記録している。
一宮市教育委員会(説明板より)