人柱観音碑 観音堂
人柱観音説明板 木曽川堤
*人柱観音縁起!
住所=一宮市小信中島字宮浦780-1
*人柱観音縁起!(おこし東の 中島西に 人のとぼさぬ 火が見える)!
慶長の昔、伊奈備前之守の官命により、小信中之坊に宿泊し、
起堤の小信川口を突止め、木曽本流の築堤の難工事に逢著した際、
中之坊の門徒にて、小信の篤信の念仏行者なる「与三兵衛」は、
報謝の一命より、慶長16年(1611)盆夏中の第4日、自から進んで、
渦巻く濁流に身を沈めて、人柱となり、遂に堤防堰止めを完成せしめた。
以来雨の夜な夜な、この辺りから青白き怪火飛んで、小信川を南に下り、
西五城「信行寺門前」に消えた。
信行寺は右の工事完成と共に、小信中之坊が移転改称したものである。
人々この怪火を目撃して「与三兵衛」の魂魄が、中之坊の御本尊を思慕するあまり、
霊火と現れ小信から参詣するもの、世にこれを「与三の火」と言い伝えた。
此度之が菩提を弔う為、「人柱与光観音菩薩」を、現地に建立し、
永遠に彼が投身の大業を後世に伝えんとするもの、与光は彼の法号である。
*「南 無 大 悲 与 三」 「鎮 も る や 青 田 風」
*追記!
ちなみに、濃尾大橋架設の犠牲者!
*長野県人=岡庭金吾
*宮崎県人=望月盛次
*秋田県人=樫尾義雄
の三聖魂を小観音として建立合祀し共に、
昭和32年(1957)9月28日開眼した。
(説明板より)