尾西史料館 象行列展示
象行列再現 象行列2
象行列行程表 案内板
象船再現 説明板
起宿ジオラマ 象船渡り場跡
*江戸時代の像!
住所=一宮市起字下町211
*川を渡る像!
江戸時代の中頃、8代将軍「徳川吉宗」は象を大陸では軍用しているとい
う話を聞いて、興味を示し、象を見てみたいと言いました。
そのことを知った清国(今の中国)の商人「鄭太威」は、ベトナムから牡牝
一頭ずつ、合わせて2頭の象を連れて享保13年(1728)に長崎にやっ
てきました。牝象は長崎に唐人屋敷で死んでしまいましたが、牡象は翌年
享保14年(1729)3月13日に、長崎を出発し、江戸までの長い旅が
始まりました。長崎街道・山陽道を通り、京都で天皇に拝謁しました。
その後草津宿から中山道に入り、垂井宿経由で美濃路に入りました。
木曽川を船で渡り起宿に到着したのは5月3日の事でした。
起の本陣屋敷地内には象小屋が建てられ、そこに象が一泊しました。
翌4日、次の宿泊予定地である清州宿に向かいました。
象行列は象使いをはじめ、30数人の役人、村役人が同道した記述が、
起宿にも残されています。 その後、象は5月25日に江戸に到着、
将軍・吉宗にお目見えして、その役目を果たしました。
*「馴象茶屋町通行」(小治田之真清水)
象が名古屋城下の茶屋町を通行する姿が描かれている。
*川を渡る象!
①佐渡川(揖斐川)!
あらかじめ象船が用意されていましたが、川の水が比較的
浅かったので象は気持ちよさそうに歩いて渡りました。
しかし、残りわずかなところで、象は深みにはまってしまい、
沈んでしまいました。 その後象は自力で這い上がり、
何とか渡りきることできました。
②墨俣川(長良川)!
墨俣川(長良川)は、水量が多く、佐渡川(揖斐川)のように、
歩いて渡ることができないので、象船が用意されました。
しかし、象は機嫌が悪く、なかなか船に乗ろうとしません。
足に網を巻きつけて、20人がかりで象を引っ張り船に乗せたものの、
渡りきったところで、対岸の大勢の見物客の歓声に、
驚いて逃げ出してしまいました。全力疾走した象は村の外れまで来て、
ようやく捕らえる事が出来ました。
③小熊川(境川 )!
この川にも象船が用意されていましたが、水が少なかったので、
浅瀬を選び歩いて渡りました。墨俣川のような事件もなく、
4つの川の中で一番楽に、渡ることができました。
④起川(木曽川)!
今までの河川とは規模が異なり、墨俣川の二の舞にならないように、
細心の注意が払われました。墨俣川での経験を活かし、
象使いの「てんてんほんほん」の掛け声に、あわせて像を船に乗せ、
落ち着いた象は川を無事渡りました。
こうして、美濃路最大の難所を超えることができました。
(説明板より)!