宮河戸大明神社前碑 大明神社
境内大銀杏 説明板
福島正則駒繋ぎ跡 木曽川堤渡船場跡
*関ヶ原合戦と起(おこし)宮河戸渡し跡)!
住所=一宮市起字堤町138-1(大明神社)
*東軍(家康軍)、木曽川を渡る!
慶長5年(1600)8月21日、「福島正則」等は徳川家康の、到着を待
たずに行動を開始しました。
軍勢を二手に分け、福島正則、黒田長政、細川忠興などの軍勢1万6千は美
濃路を南下し、
起から木曽川を渡り竹鼻城を攻め、池田輝政、山内一豊、一柳(ひとつやな
ぎ)直盛などの、軍勢1万8千は清州から北上し、一宮、黒田を通り河田か
ら岐阜に向かいました。起(おこし)の大明神社に「福島正則」が馬を繋い
だとされる巨木が昭和20年代まであったそうです。
現在その巨木はなくなり、石碑のみが残っています。
福島正則の軍勢は起から渡ろうとしましたが、木曽川の砂浜に足を取られて
思うように、前進できず、対岸から銃撃を受けました。そのため、下流の
「加賀野井」から渡りました。
この時に「福島正則」を道案内したのが、後の「起本陣」となる「加藤家」
とされています。竹鼻城は慶長5年(1600)8月22日の、
午後4時頃、落城しました。