茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

自分の感受性くらい

2006-07-21 23:21:14 | m-tamagoの物想い
 詩人茨木のりこさんの“自分の感受性くらい”という詩をご存知ですか。有名なのでご存知の方も多いかもしれません。
 ちょうど私は落ち込んでいて、それを誰かのせいにしたがっていた。でも、違うでしょう?あなた自身はどうだったの?と言われた気がして、最後の「ばかものよ」で完全に打ちのめされた。そうして私の心は平静を取り戻すことができた。今思えばそんなに落ち込むことでもなかったように思うが、この詩に出会えたことは収穫だった。
 以後、心にさざ波が寄せる度に思い出す詩となった。何事も自省し、静かに受け入れることが大切ということだろう。そんな強さを、しなやかさを持ちたい。

ぱさぱさに乾いていく心を
人のせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ ばかものよ

 彼女の経歴を知るに、その詩には第二次世界大戦が大きな影響をもたらしているようです。感受性の詩も、戦時中はっきりものが見えた(戦争はおかしいと認識できた)人が一握りであったことへのメッセージが含まれています。彼女の生き方、強い思いがそのまま書かれているから心打たれるのでしょう。私も何が正しいのか、きちんと心を、目を、大きく見開いて見据えたいと思います。
 最後にこの詩のお蔭で手にした詩集で知ったもうひとつの大好きな詩、"汲む –Y.Yに-"を。

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始るのね 墜ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなかった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

<茨木のりこ略歴>
本名三浦のり子。1926年(昭和元年)、大阪市十三に生まれる。東邦大学薬学部卒。1950年、当時村野四郎が選者であった 『詩学』 に、はじめて投稿した作品が掲載され、以後1952年まで投稿を続ける。1953年、同じく 『詩学』 の投稿家であった川崎洋氏と 『櫂』 を創刊。『櫂』はやがて谷川俊太郎、吉野弘、水尾比呂志、大岡信、中江俊夫、友竹辰らを同人に加え、昭和生まれの詩人たちの最初の大きなグループとなった。
1955年、第一詩集 『対話』 を不知火社から刊行、以後の詩集には 『見えない配達夫』、『鎮魂歌』、『茨木のりこ詩集』、『人名詩集』、『自分の感受性くらい』 がある。また1957年の 『櫂詩劇場』 に「埴輪」を収める外、ラジオドラマもある。散文集に 『言の葉さやげ』、中学生のための詩人の伝記 『うたの心に生きた人々』、愛知県民話集 『おとらぎつね』 などもある。
2006年2月、逝去。享年79歳。
(集英社 『日本の詩・現代詩集二』 より引用抜粋)
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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
茨木のりこさん (haruko)
2006-07-21 23:45:29
私も好きです。久しぶりに二編とも読み、ドキドキしました。ありがとうございます。
返信する
Unknown (albireo)
2006-07-21 23:59:05
茨木のりこさんは、現代詩人の中では好きな詩人の一人です。

時に、相当に厳しい表現をされますが、本当は優しくて暖かい心をその底に感じます。

亡くなるのが、ちょっと早すぎたように思います…。
返信する
いいですね。 (草君)
2006-07-22 08:31:56
素敵な詩を読ませていただきました。ありがとうございます。

頼りない生牡蠣のような感受性や、初々しさは保とうと思って保てるものでしょうか。。

まさに自分の感受性くらい自分で守らなければね。

守ることで失うこともあるかもしれないけれども。

やはり一期一会の心ってだいじだよなぁ。と思いました。

返信する
少女の頃は・・・ (山桜)
2006-07-22 12:30:53
 少女の頃、茨木さんの詩は生々し過ぎて、苦手でした。

教科書にも載っていた「わたしが一番綺麗だった頃」

という詩も、読んでいて何だかとても苦しくなって…



 今でも作品を読むと、不甲斐無い自分、傲慢な自分に

打ちのめされます。真実の言葉は心に痛い。

私にとっては、厳しいお師匠様のような存在かもしれません。
返信する
茨木のりこさん (m-tamago)
2006-07-22 22:08:59
harukoさんもご存知でしたか。

本当に、何度読んでもドキドキします。

返信する
厳しい表現 (m-tamago)
2006-07-22 22:12:19
albireoさんもご存知ですね。

おっしゃるように、私も厳しい表現の中に優しくて暖かい心を感じます。だから心打たれるのだと思います。

のりこさんが20歳の人たちに寄せたメッセージを読んだのですが、それまでのご自身の生き方や思いが綴られていて、詩の奥にある思いを知りました。
返信する
生牡蠣のような感受性 (m-tamago)
2006-07-22 22:18:00
草君さん、こんばんは。



>まさに自分の感受性くらい自分で守らなければね。

>守ることで失うこともあるかもしれないけれども。

そうですね。ばかものよ、なかなか大人になると言ってもらえないので、思い出すと背筋が伸びます。



>やはり一期一会の心ってだいじだよなぁ。と思いました。

本当に何事も一期一会の心で接したいです。
返信する
少女の頃は (m-tamago)
2006-07-22 22:20:31
山桜さんは随分長く茨木さんの詩をご存知なんですね。



「わたしが一番綺麗だった頃」って教科書に載っていたんですか!知らなかった。



>真実の言葉は心に痛い。

本当に。私も心が揺らぐ時、思い出すと背筋が伸びます。
返信する
Unknown (Unknown)
2006-07-23 12:55:23
こんにちは!お久しぶりです、FUJIです。

茨木のりこさんは2月にお亡くなりになられた時に

新聞に彼女の訃報とこの詩が載せられていました。

普段あまり新聞読まないのに(ヤバッ)何故かここだけは

見逃せなかったんですよね。たまごさんの日記でまた出会える

とはびっくりです!どうもありがとうございます。



返信する
詩というよりは (kazimodo)
2006-07-23 14:34:43


 芝木のりこさんの書かれたものを初めて読んだのは

、ある若い(20代後半)の娘さんから頂いたメールででした。彼女のメールの最後には、どうして人は、何のために生きていくのでしょう、とありました。

 

 芝木さんをこよなく愛読していた彼女を虜にしてやまない詩人。



 聡明で理知的で真面目な彼女を、巨大な組織の男の論理が苦しめていて、ついに誰にもいえぬまま心の病におかされてなお、愛してやまない人、芝木のりこさん。

 

 哲学する詩人の魂が凝縮されている彼女の詩篇を、わたしもまた、読みかえしているところです。



 おもいださせて頂いててありがとうございます。
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