茶事や茶会を催す時、必ず事前に招待状をお出しする。最近では電話で代用することも多いのだろうが、そもそもは手紙だった。わが大学茶道研究会では、そういった案内とお礼状を取り纏める幹事がいて、かくいう私もその幹事経験者である。
4月に新入生歓迎茶会、6月に水無月茶会、10月に大学祭、12月に新人茶会、2月に卒業生茶会。ほぼ2ヶ月に一度の割合で茶会があった。その度にご指導頂いている先生方には奉書に筆書きでご案内状を作成し、幹事長が持参。OBOGや渉外校などには葉書で作成し、発送。茶会後、先生にはその日のうちに幹事長がお礼に行き、他の皆様には手分けして礼状を書くという具合だった。
以前も書いたが小さい頃から手紙を書くことを習慣づけられた私は文章を考えるのが苦にはならなかったし、茶会のご案内は大体定型文になっていて時候の挨拶だけを直せばよいので気は楽だった。先生宛の奉書2通だけは気合を入れて書きましたが。
季節の便り・お礼状 http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/676f7610b85acb4211366dcb67253ca2
さて、時候の挨拶、改めて読んでみると日本語の美しさを感じます。最近メールが一般化して時候の挨拶を見ることも少なくなりましたが、だからこそ頂いた手紙の美しい冒頭の文章に、ああそんな季節だなあと嬉しくなることがある。
今月からひと月ずつ、時候の挨拶となる言葉をご紹介していこうと思います。メールばかりでなくたまには大切な誰かに時候の挨拶の入った手紙を書いてみませんか?
新涼 秋涼 清涼 新秋 初秋 爽秋 孟秋 秋色 涼風 野分 秋分 初秋の候 新秋快適の候 爽秋の候 残暑去り難く 二百十日も無事に過ぎ 爽やかな季節を迎え 朝夕はめっきり涼しく 朝夕日毎に涼しくなり 虫の音美しい 秋の気配が次第に濃くなって 新秋快適のみぎり 秋色次第に濃く 初雁の姿に秋を感じる頃 野山もにわかに秋色をおび スポーツの秋を迎え
素敵な時候の挨拶や、こんな手紙をもらってうれしかったなどあれば、ご紹介頂けるととても嬉しいです。
4月に新入生歓迎茶会、6月に水無月茶会、10月に大学祭、12月に新人茶会、2月に卒業生茶会。ほぼ2ヶ月に一度の割合で茶会があった。その度にご指導頂いている先生方には奉書に筆書きでご案内状を作成し、幹事長が持参。OBOGや渉外校などには葉書で作成し、発送。茶会後、先生にはその日のうちに幹事長がお礼に行き、他の皆様には手分けして礼状を書くという具合だった。
以前も書いたが小さい頃から手紙を書くことを習慣づけられた私は文章を考えるのが苦にはならなかったし、茶会のご案内は大体定型文になっていて時候の挨拶だけを直せばよいので気は楽だった。先生宛の奉書2通だけは気合を入れて書きましたが。
季節の便り・お礼状 http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/676f7610b85acb4211366dcb67253ca2
さて、時候の挨拶、改めて読んでみると日本語の美しさを感じます。最近メールが一般化して時候の挨拶を見ることも少なくなりましたが、だからこそ頂いた手紙の美しい冒頭の文章に、ああそんな季節だなあと嬉しくなることがある。
今月からひと月ずつ、時候の挨拶となる言葉をご紹介していこうと思います。メールばかりでなくたまには大切な誰かに時候の挨拶の入った手紙を書いてみませんか?
新涼 秋涼 清涼 新秋 初秋 爽秋 孟秋 秋色 涼風 野分 秋分 初秋の候 新秋快適の候 爽秋の候 残暑去り難く 二百十日も無事に過ぎ 爽やかな季節を迎え 朝夕はめっきり涼しく 朝夕日毎に涼しくなり 虫の音美しい 秋の気配が次第に濃くなって 新秋快適のみぎり 秋色次第に濃く 初雁の姿に秋を感じる頃 野山もにわかに秋色をおび スポーツの秋を迎え
素敵な時候の挨拶や、こんな手紙をもらってうれしかったなどあれば、ご紹介頂けるととても嬉しいです。
私も昔は形通りに時候の挨拶を使っていましたが、徐々に自分で考えて書くこともできるようになり、いいものだなあと思います。Eメールでも最初に時候を感じされる文言があると、この人、素敵!と感じます。
>そういえば、茶杓の銘にも通じるものがあるのではと最近思います。
そうですね。銘も季節感あふれますもんね。色々な形で日本の季節を感じたいものです。
>私は喪中欠礼のお葉書には、華やかになり過ぎないような「寒中お見舞い」を出しています。
寒中お見舞いも嬉しいですね~。
>芸にきびしく、日々の生活は常に三味線の音と共にでしたが、依、食住のこころくばりは素晴らしいものでした。
私も茶道の師匠から茶道だけでなく、さまざまな心配りを学んでいます。
お互いよい師匠に恵まれましたね。なんだか嬉しい。
墨で書く練習!!えらいなー。
書状の書き方はやはり学んでおくと何かと便利ですよ~。
時候の挨拶って一つの形式ですが、あるとないとでは手紙が与える印象が全然違うと思うようになったのは、茶道を始めてからでした。当たり前のようについてる時候の挨拶。そこから季節を感じることも出来なかった自分が哀しいと思ったことを覚えています。季節を感じるって素敵ですね。
そういえば、茶杓の銘にも通じるものがあるのではと最近思います。
↓友部丹人さんと仰る方のブログの中の素敵な日記です。
http://blog.goo.ne.jp/tan230/e/42630d99494733bea635f40013e5b94a
m-tamagoさんと同じテンプレートで印象的と思っていたら、
同じお手紙のお題目! どこか通じるものがあるのではと、
ご紹介申し上げたく思いました。
私は喪中欠礼のお葉書には、華やかになり過ぎないような
「寒中お見舞い」を出しています。
芸にきびしく、日々の生活は常に三味線の音と共にでしたが、依、食住のこころくばりは素晴らしいものでした。
よく先輩に恵まれたと思っています。
たまごさんは、実のお母様から学ばれた! とても羨ましいです~
息子は全然駄目、、、>泣
あまり詳しく書いたことがないです。。
おべんきょうになりました。。
色々なものがあるんだなぁって。。
まずは墨で書く練習から
はじめたいとおもいます。。
がんばります
寂しい見舞いですか。亡き人を偲び、残された人を思う優しい風習、本当ですね。すばらしいなあ。
私も喪中葉書を頂くと、クリスマスカードを出しますが、皆さん喜んで下さいます。
私はそういう思いやお見舞いを母から学びました。
時候の挨拶、銘などには日本語の美しさが満載ですね!
そういえば最近、しんみりしたり嬉しくなる様な手紙を頂かなくなりました。
大分の竹田(地域全体がそうであったかは分かりませんが)では、「寂しい見舞い」といって、服喪中の親類や知人に、正月を迎える前の年の瀬のご挨拶をしていました。「寂しいお年越しでございましょう」と。 年賀状を出さないだけで済ませてしまう今の時代と、少し違う様な気がします。亡き人を偲び、残された人を思う先人たちの優しい風習を想い、私もそれに習い、今でも心掛けています。
時候の挨拶は、お菓子やお茶、茶杓等の銘のも、同じ様なものもあり、勉強になるし、とても興味深いですね。なんといっても心楽しいです。