安倍晴明で一躍有名になった“陰陽道”。日本の陰陽道は中国の思想とそれに基づく方術に源流がある。
日本書紀によると継体天皇7年(512)に百済から五経博士が渡来し、欽明天皇15年(554)に易博士が渡来している。
推古朝になって、これらの学門や方術の学習が始まり、随との交流を通してさらに陰陽五行思想の影響が強くなっていく。
陰陽五行と方術の摂取に熱心だったのが、天智天皇の弟、天武天皇である。
日本書紀には天武天皇について「天文・遁甲を能くす」とあり、壬申の乱で、自らの式をうらない、「遂に天下を得むか」と判断したことを記載している。実は占いによって自分が天皇になるのは天の意思であるとして臣下や民の心を巧みに掴み、天皇の座を得たとも言われている。のちに天皇の皇位継承の儀礼のひとつに天曹地府祭という陰陽道の祭りもできたと聞く。
日本書紀天武紀675(天武4)年の記事にはト占、天文、造暦、報時を司る「陰陽寮」の名が認められる。
天体現象は地上の自然現象や社会現象に影響を及ぼすとして、天文観測、占星、暦の作成、時刻管理は律令国家の運営に欠かすことができないものになっていた。
養老令によれば「陰陽寮」は中務省に属し、陰陽頭を長として事務官と技術官を置いていたが、技術官としては四種の博士が存在した。
○天文博士:天文観測に従事する。そのため設置されたのが天文観測所の“占星台”。天武天皇は日本で始めての天文台を設置した。
○陰陽博士・陰陽師:占いの専門家で地相の吉凶判断も担当する。
○暦博士:暦の作成をする。その日の吉凶を判断するための木火土金水の五行や、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉の十二直、忌日・帰己日・往亡日・修託日といった暦注を付した。
○漏剋博士:漏刻(剋)水時計を管理し、時間を報ずる。漏刻は天智天皇によって設置された。
成立当初の陰陽寮は宗教的な儀式や呪術には関わりがなく、祈願などの儀礼儀式は僧侶や神官が行うもので、陰陽寮としては事の吉凶を予言するだけだった。
ところが、平安時代の中頃に律令体制が緩んでくると官人でない陰陽師が私的に貴族と結びつき、彼等の吉凶を占ったり、災害を祓う儀式を執り行うようになった。そういう中で、次第に官から離れて、宗教的な色合いを強めていったのである。
天体観測、方位、暦や時刻の策定から始まった陰陽道、その歴史を知ると人間は宇宙・大自然の抗えない力の中に生かされているという気にさせられる。
茶の世界でも陰陽五行説は欠かせない考え方、安倍晴明という人物に興味を持たずにはいられない。
日本書紀によると継体天皇7年(512)に百済から五経博士が渡来し、欽明天皇15年(554)に易博士が渡来している。
推古朝になって、これらの学門や方術の学習が始まり、随との交流を通してさらに陰陽五行思想の影響が強くなっていく。
陰陽五行と方術の摂取に熱心だったのが、天智天皇の弟、天武天皇である。
日本書紀には天武天皇について「天文・遁甲を能くす」とあり、壬申の乱で、自らの式をうらない、「遂に天下を得むか」と判断したことを記載している。実は占いによって自分が天皇になるのは天の意思であるとして臣下や民の心を巧みに掴み、天皇の座を得たとも言われている。のちに天皇の皇位継承の儀礼のひとつに天曹地府祭という陰陽道の祭りもできたと聞く。
日本書紀天武紀675(天武4)年の記事にはト占、天文、造暦、報時を司る「陰陽寮」の名が認められる。
天体現象は地上の自然現象や社会現象に影響を及ぼすとして、天文観測、占星、暦の作成、時刻管理は律令国家の運営に欠かすことができないものになっていた。
養老令によれば「陰陽寮」は中務省に属し、陰陽頭を長として事務官と技術官を置いていたが、技術官としては四種の博士が存在した。
○天文博士:天文観測に従事する。そのため設置されたのが天文観測所の“占星台”。天武天皇は日本で始めての天文台を設置した。
○陰陽博士・陰陽師:占いの専門家で地相の吉凶判断も担当する。
○暦博士:暦の作成をする。その日の吉凶を判断するための木火土金水の五行や、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉の十二直、忌日・帰己日・往亡日・修託日といった暦注を付した。
○漏剋博士:漏刻(剋)水時計を管理し、時間を報ずる。漏刻は天智天皇によって設置された。
成立当初の陰陽寮は宗教的な儀式や呪術には関わりがなく、祈願などの儀礼儀式は僧侶や神官が行うもので、陰陽寮としては事の吉凶を予言するだけだった。
ところが、平安時代の中頃に律令体制が緩んでくると官人でない陰陽師が私的に貴族と結びつき、彼等の吉凶を占ったり、災害を祓う儀式を執り行うようになった。そういう中で、次第に官から離れて、宗教的な色合いを強めていったのである。
天体観測、方位、暦や時刻の策定から始まった陰陽道、その歴史を知ると人間は宇宙・大自然の抗えない力の中に生かされているという気にさせられる。
茶の世界でも陰陽五行説は欠かせない考え方、安倍晴明という人物に興味を持たずにはいられない。
1があるということは弍もあるのですね♪
制作に忙しく、気のきいた感想が書けなくて、、、申し訳ありません!
でもいつも楽しみにさせていただいております♪
と、かかれているとおり、平安時代は、ほとんどの行動が、この占いによって決められると、何かで読みかじった覚えがあります。それ又 おそろしいことです。
来月は、五行棚を使います。
陰陽五行 再度勉強しなくては!
アヤカシの世界のように捉えられることも多いですが、
元々は天地陰陽の理(ことわり)、天文学の祖であります。
実は私などよりも何万倍も語れ、本も書いている人々が
私のブログ訪問者の中にひっそり隠れてらっしゃいますので、
私など、何も語れません・・・^^;。
今の季節、コスモス迷路が境内にあります。
受験の際にお世話になるのですが、
このお寺も“安倍”ですよね。
大変興味深く読ませて頂きました。
晴明神社をひかえた京都の一条戻り橋?界隈を訪ねてみたし!ですね。
当時は、天文学や気象学等、謎の部分が多かったでしょうに、だからこそ、この人の活躍の場も広がっていったのでしょうね。
私も 時間をとって、安部晴明のついて、もっと知りたくなりました。たまごさんからいつも刺激を受け、触発と言うより、啓発されます。良く話題を掬い上げてこられますね。それに、着眼点が素晴らしい!! 益々楽しみです。
楽しんで頂けましたか。いつもコメントありがとうございます。
製作もがんばってくださいね!
>来月は、五行棚を使います。
五行棚についてはまた書きたいと思っています。
興味深いお棚ですよね~。
>元々は天地陰陽の理(ことわり)、天文学の祖であります。
科学が進んでも、天地のことわりには逆らえないものがあると感じます。
>実は私などよりも何万倍も語れ、本も書いている人々が私のブログ訪問者の中にひっそり隠れてらっしゃいますので、
ひえええ、色々その方に教えて頂ければうれしいなあ。浅い本で読んだものでしかないので。。。。間違いがあったらご指摘下さい。。。
>今の季節、コスモス迷路が境内にあります。
コスモス、好きな花のひとつです。コスモス畑を想像し、秋を感じました。。。
中国三千年の歴史はすごいなーと昔のことを知るほどに思います。
>晴明神社をひかえた京都の一条戻り橋?界隈を訪ねてみたし!ですね。
晴明神社については、修学院小習さんも興味深い記事を書かれておられました。
私も行ったことがありますが、最近は人気スポットになりつつあるようです。
お褒め頂いてありがとうございます。自分の興味だけで書いているので、そういって頂けると嬉しい限りです。
でも、深く調べていなくて間違いもあるので、これは?と思ったら教えてくださいね。