若い頃ならきっと読まなかったと思いますね、この本。
本の中で死について哲学者スピノザの言葉に触れています。
このフレーズ、死だけでなく人生の捉え方という意味で
ある部分言い当てているように思いますし、またそうではない
という人達もいるでしょうね。
「人生で起こるこことはすべてが必然的であるという事実に
気づくことができさえすれば、私たちはその事実から一種の
感情的距離を置けると考えた。
もういきり立たずに済むのだ。私たちはもう物事に落胆しない。
ある出来事に落胆するためには、別の展開になりえたことが
前提になっているからだ。そして他の展開はありえないと
いったん気づけば、それについて悲しむことはできないと
スピノザは考えた。」
運命説のようなものですね、すべては運命としてとらえれば
そうだし、一方では人生は選択であり、いろんな可能性がある
そうなれば運命は自分で選択できるのだと考えることも
できる。
更に、そういう自由に自分で選択したと思っているかも
しれないが、その選択さえもすでに必然として埋め込まれて
いるのだ、その選択も含めて人生は決められているのだという
より高い次元で運命説、必然なんだと考えることもできる。
どうですかね。
私は人の可能性を信じたい、一方で運命というのもある。
でも、その運命か必然かは別にして、一所懸命努力してその
結果を受け入れる。そのことが運命だし、天命なんでしょうね。
その意味で「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が好きです。
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版 | |
柴田裕之 | |
文響社 |
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