Wind of Mind

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グリークラブ:アルバイト編「中島みゆきコンサート」でバックコーラス!?③

2007年01月31日 | 音楽のルーツ
みゆき嬢が、ゆっくりと我々の方を振り返りました!!!

お、怒られるーーー!!!
私は一瞬本能的にそう感じて身を固めて構えました。

すると、みゆき嬢は振り返りざま、にっこりと笑い。
「もっと出していいわよ~」とひとこと。。。

や、やっぱり怒ってる・・・ワラッテルケド

しかし、出せといわれても歌詞がわからないので出しようがない・・・
我々はやばいな~と思いながら、その場でできる限りの大きな声を必死に出して歌い、なんとか窮地をしのいだのでした。

リハ終了後も、みゆき嬢は「本番はもっと出して良いわよ~」

「は、はい・・・」わ、わかってますって!!!

その後、本番までの間、我々が必死になって歌詞を覚えたことは言うまでもありません。

本番では我々はステージの後方でカーテンの陰に待機。
「世情」のイントロが流れ、最初に男性が導入部分を歌い(この人の声が沢田研二そっくりでびっくり!)その後みゆき嬢が歌い始めます。
そして、曲はクライマックスへ!

ドコドコドコドコとバスドラ?ティンパニー?の音が最高潮に達したとき目の前のカーテンがパッと落ちて我々が姿を現します。
それと同時にコーラスが始まるのですが、カーテンが落ちるのに驚き(リハーサルでは説明だけだった)出だしが少し遅れました。
しかし、直前の猛特訓?のおかげで何とか無事に歌いきることが出来ました。

本番前と終わった後少しだけ、みゆき嬢のコンサートを観ることができました。
本当にこの小さな体のどこからこんな声が出てくるのかと思うような声量と、ギターも上手かったし、トークがこれまた面白い!

かなりドキドキしましたが、私のバイト歴の中ではオフコースの時とともにいつまでも思い出に残るアルバイトでありました。

ところで、あのTシャツ、どこいっちゃったんでしょう。。。ナイ・・・

グリークラブ:アルバイト編「中島みゆきコンサート」でバックコーラス!?②

2007年01月30日 | 音楽のルーツ
さて、リハーサルが始まる前に私は何気なくオフコースで一緒にバイトしたS君に聞いてみました。

「歌詞覚えてきた?」

一瞬、S君は目が点になり固まってお互いに見つめあい・・・(そういう仲ではない)

S君:「え・・・まさか、お前も!?」ひゃっひゃっひゃっ
私「え~お前も覚えてないの~」

すると周りにいた連中も。

「え、おまえも!」
「おまえも!?」「おまえも~!!!」

なんと、ほとんど誰も覚えていないような状況のなかで我々はリハーサルを強いられるという事実が本番直前になって判明したのでした。

ステージではみゆき嬢が椅子に座りギターを片手にリハーサル中でした。
思ったよりかなり小柄な女性でしたが、ものすごい声量にびっくり!!!

そして、いよいよ我々の曲のリハーサルが始まりました。
しかし、やはり歌詞に自信がないのでなかなか大きな声で歌えません。
2,3人のかろうじて覚えているヤツの歌に合わせるのが精一杯でした。
私もさすがに、こりゃ~まずいな~と思いながら何回か歌った後でした。

みゆき嬢が、ゆっくりと我々の方を振り返りました!!!

お、おこられる~!!!???

最終回に続く

グリークラブ:アルバイト編「中島みゆきコンサート」でバックコーラス!?①

2007年01月29日 | 音楽のルーツ
さて、久々にアルバイト編です!

大学3年の末だったと思います。(もしかすると4年か?)
わがグリークラブに中島みゆきのコンサートでのアルバイトの話がきました。
なんと、内容はバックコーラス!
もちろん、私も2つ返事で参加を希望しました!

中島みゆきは北海道を代表するフォークシンガーでしたが、「アザミ嬢のララバイ」「時代」「わかれうた」など一般的なヒット曲ぐらいしか知りませんでした。すでに「悪女」がヒットしていたような気もしますが、よく覚えておりません。
もちろんコンサートも始めて。一体どんなコンサートなのか!?興味津々!

依頼された曲は「世情」という曲で、後でわかったのですがその当時コンサートにおいては結構盛り上がりをみせる重要な曲だったようです。

曲の楽譜を渡され、それぞれが練習するということで1度も合わせたことがなかったような気がしますが、記憶が定かではありません。もしかしたら少しはみんなでやったのかもしれません。

私は「世情」メロディはすぐに覚えましたが、詞はよく覚えないまま当日を迎え会場へ。
どうせ誰かが覚えてくるだろう。ぐらいの軽い気持ちでした。
当日バイトには15人ぐらい集まったと思います。あまり多くはありませんでした。

早速、コンサートで着るTシャツが配布されました。
紺地に白で「中島みゆき」と書かれているシンプルなもので、あまりかっこよくはありませんでした。
え~これ着るの~って感じのTシャツでした。

大学3年目:結婚式デビュー!

2007年01月24日 | 音楽のルーツ
百恵ちゃんが結婚したこの年、私の姉も結婚することになり、私は姉の結婚式ではじめて自分で作った曲をギターの弾き語りで歌いました。

タイトルは「姉貴の一番短い日」。
もちろんさださんの「親父の一番長い日」をパクッたタイトルです。
姉に対して、小さい頃からかわいがってもらった感謝と幸せになってもらいたいという気持ちを込めて、どうしても歌わせて欲しいと頼んだのです。
そんな思い出をたどって作ったら、さださんの歌同様、結構長い歌詞の歌になってしまいました。

本番直前に私はカラオケ伴奏のエレクトーン奏者のおじさんに最初のコードを教え、適当につけてください。とだめもとで言ったのですが本当に途中からアドリブで合わせてくれた時は驚きました。さすがプロ!

ステージにはマイクが1本しかなく、急遽、兄がギター用にマイクを持ってくれたのですが、かがみながらマイクを持っていた兄が、私が歌いだすとボロボロ涙を流すんです。
これを見て私も驚きちょっと詰まりそうになりましたが、何とか無事に歌いきることが出来ました。この兄の涙のお陰もあり、なかなかの好評だったようです。姉も大変喜んでくれました。

この結婚式以来、私は親しい友人から結婚式で歌ってくれと頼まれるとオリジナルを作って歌うことにしています。
コンサートではあまりいい思い出がありませんが、結婚式のステージではいつも満足のいく演奏が出来たと思います。
といってもそれほどの回数ではありませんが。。。

1980年のミュージックシーン

2007年01月23日 | 音楽のルーツ
大学3年目、いよいよ1980年代です。
この年のミュージックシーンというか芸能界においての最大の出来事は、山口百恵と三浦友和の結婚でした。
当時人気絶頂の百恵ちゃんがあっさり結婚のために芸能界を引退。
これにはみんな驚かされたし、その女性としての行き方と潔さに暖かい拍手を送ったものでした。
そして百恵ちゃんと入れ替わるように松田聖子が「裸足の季節」でデビュー。
80年代を代表するアイドルの誕生です。
この年、河合奈保子、柏原よしえ(芳恵)、そして金八先生で人気のたのきんトリオから田原俊彦・近藤真彦、同じく生徒役の三原順子も相次いで歌手デビュー、80年代アイドルブームの火付け役となりました。
アイドル以外では佐野元春が「アンジェリーナ」、山下久美子が「バスルームから愛を込めて」でデビューした年でもあります。

ちなみに、この年の年間シングルトップ50は、
ダンシング・オールナイト/もんた&ブラザーズ、異邦人/久保田早紀、大都会/クリスタル・キング、ランナウェイ/シャネルズ、順子/長渕剛、贈る言葉/海援隊、おまえとふたり/五木ひろし、別れても好きな人/ロス・インディオス&シルヴィア、さよなら/オフコース、哀愁でいと/田原俊彦、Sachiko/ばんばひろふみ、昴/谷村新司、とまり木/小林幸子、風は秋色/松田聖子、青い珊瑚礁/松田聖子、蜃気楼/クリスタル・キング、おやじの海/村木賢吉、防人の詩/さだまさし、パープル・タウン/八神純子、秋止符/アリス、倖せさがして/五木ひろし、ハッとして!Good/田原俊彦、WakeUp/財津和夫、唇よ、熱く君を語れ/渡辺真知子、RIDE ON TIME/山下達郎、雨の慕情/八代亜紀、ダンシング・スター/ノーランズ、道化師のソネット/さだまさし、よせばいいのに/敏いとうとハッピー&ブルー、不思議なピーチ・パイ/竹内まりや、おもいで酒/小林幸子、南回帰線/滝ともはる・堀内孝雄、私はピアノ/高田みづえ、恋/松山千春、Yes・No/オフコース、親父の一番長い日/さだまさし、ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシー・フルーツ、狂った果実/アリス、TOKIO/沢田研二、ロックンロール・ウィドゥ/山口百恵、さよならの向こう側/山口百恵、「ヒゲ」のテーマ/たかしまあきひこ&エレクトリック・シェーバーズ、恋の綱わたり/中村晃子、THIS IS A SONG FOR COCA-COLA/矢沢永吉、人生の空から/松山千春、How many いい顔/郷ひろみ、テクノポリス/イエロー・マジック・オーケストラ、謝肉祭/山口百恵、大阪しぐれ/都はるみ、裸足の季節/松田聖子(Wikipediaより)

この年はなんといっても、もんた&ブラザーズですかね。あとクリスタルキングの田中さんの超ハイトーンボーカル!
久保田早紀の「異邦人」も大ヒットしました。
そしてオフコース「さよなら」「Yes-No」、ノーランズの「ダンシングシスター」も流行りましたね~

大学時代:グリー3年目、突然のライバル宣言!

2007年01月21日 | 音楽のルーツ
たしか、この打ち上げの2次会だったと思います。(あるいはもっと前か?)
私は同じパートのI君にライバル宣言をしました。

しかし、この挑戦?はI君にしてみれば第13回Wリーグ戦の後、馬場に猪木が挑戦状をたたきつけたような感じ。いや、猪木ではなくて坂口?高千穂か?

あえて今更宣言する必要もないといえばないのですが、自分をさらに奮い立たせるというか、彼のライバルと宣言することで自分を追い詰めたかったのです。
ライバル宣言することによって下手な演奏は出来ません。

ちょっと記憶があいまいですが、彼は2年目ぐらい?(この辺の記憶があいまいです。)から大学のすぐそばに住んでいました。
私は結構彼のアパートへ行きました。
このアパートで彼は私にいろいろなことを話してくれました。きっと誰かに話したかったのだと思います。私も色々話しましたが、聞き役の方が多かったかな。
朝まで飲み明かしたこともあったと思います。
このとき初めてI君と打ち解けたと思いますし、彼も同じだったと思います。
ここで私は焼酎と姫たらの味も覚えました。

トップはI君が中心だったのは誰もが認めるところですが、この心の信頼は合唱にも生かされてきます。

たとえば、トップがコーラスをつける曲があります。
ファルセットで伸ばす部分があります。
一応、ブレス(息継ぎ)の場所を決め音がと切れないように交代でブレスするのですが、I君と私と何人かは自分に任されました。お互いに声を聞きあい彼が途切れそうな時は私が補うといったようにブレスする場所を決めていなくともあうんの呼吸で繋げられるのです。
お互いにそれは分かるので、うまく連携が出来るととても嬉しい気持ちになりました。

一時は脅威を感じた後輩のM君もそうですが、もう自分の出せる実力が分かってしまうと相手の実力も分かるので、認め合いこそすれ脅威には感じなくなります。
歌うことに関しては私もI君もM君もそれぞれにいいところがあったと思いますが、音楽的には2人はかなわないと思っていました。あ、これはトップの中での話です。
グリー全体で見ればこの2人のほかにも音楽的にすばらしい人はいました。
私は彼らに支えられて、歌に専念することが出来たのだと思います。

大学時代:グリー3年目 定期演奏会④

2007年01月19日 | 音楽のルーツ
演奏会が終わると、恒例のアフターです。
帰るお客さんより早く出てお見送りしなければ、とみんな急いでロビーへ向かいます。
最後は確か外でもやったような気がします。
アフターはアンコールより更に声が出ます。
この頃は男声合唱の大曲「ウ・ボイ」もやっていました。普段は出ない声もアフターならみんな出る!?

そして、外へ出たときです。なんと憧れのU先輩が私に近づいて来るではないですか!?
え、なになに・・・と思っていると。

「よかったよ~ソロ、曲の隅々まで気持ちが行き渡ってて~○×△@#%&$」
と珍しく興奮している。

そ、そして、なんと、背伸びをして私に・・・!!!
え、こんなところで、あっ・・・

           ・・・・・・・・・・・・・・・あ、頭を撫でてくれました。

え~ん、結局、子ども扱い~!?

と恥ずかしいやら嬉しいやらで呆気に取られ、近くにいた仲間からは笑われるし。
まあ、でも、あんなに喜んでくれて褒めてくれてモノスゴク嬉しかったです!!!
でも、ここでなでなでしなくても・・・

この後、打ち上げで飲んだお酒が最高に美味しかったことは言うまでもありません。
こうして、私のグリー3年目はなんとか無事に終了したのでした。

大学時代:グリー3年目 定期演奏会③

2007年01月17日 | 音楽のルーツ
第2ステージは「人間の歌」。
あのK君の指揮です。彼はこの年副指揮者になっていました。
この組曲も多田武彦の作品で、詩は堀口大学これがまた叙情的でいい!
1曲目は「縫ひつける」星とヒトデを縫ひつける。海と母とを縫いつける。。。
3曲目は「浜の足跡」貝殻は海の落としご 歌声が海に似ている。。。

この「浜の足跡」は、あのはじめてのカルテット大会で苦い思いをした曲でしたが、そのときと比べたら多少は歌いこなせるようになっていました。

第3ステージはコンクールで歌ったケルビーニのレクイエム。
コンクールでの鬱憤を晴らすかのようにみんな、力の入った演奏でした。
確か打ち上げで指揮をしてくれたO先生が「今日の演奏で出たかったね(笑)」と本音を漏らしていたような気がします。

第4ステージは「カムイの森で」
アイヌのウポポにも通じる森に住む動物の鳴き声などの擬音の多い壮大な男声合唱でウポポより楽しい感じですが、この曲も難しかった。
しかし、正指揮者の選曲のセンスのよさが表れたステージでした。

最後のアンコールは正指揮者のソロをフューチャーした「誰かが誰かを愛してる」
毎年のことながらアンコールは歌いながらグッとこみ上げてくるものがあります。
去年は「愛の唄」で指揮者が涙でソロを歌えなくなるという事態が発生。
ただこれは声がでないのを泣いてごまかしたという噂も・・・

感動とは裏腹にすでに演奏は終わっていることもあり、安心して声が出るわ出るわ。
定演も3年目にして、ようやく満足に歌いきることができました。

大学時代:グリー3年目、定期演奏会②

2007年01月16日 | 音楽のルーツ
さて、いよいよ開演。
うちの定番、学生歌を歌いながら2番のハモルところで幕が開きます。
声の調子は上々。予断ですが、私はステージの上はライトで暑いのでなんか眠くなり、結構集中力がなくなるタイプでした。
しかし今日は違いました。

第1ステージの曲のアナウンスがあり、私は1歩前に出ます。さすがに緊張しました。
しかし、いい意味で開き直れたのか、バックのグリーの面々の重厚なハーモニーに支えられ、私は伸び伸びと歌う事ができました。
市民会館の後ろの壁に声よ届け!とばかりに、とても気持ちよく歌えたことを覚えています。

グリフェスで試した部分もこの日は少し進化させて歌うことができ、完璧とはいえませんが私としては十分満足のいくものでした。
間違いなく、今までで一番いい出来だったと思います。

歌い終わったあと、指揮者が「よし」とサインを送ってくれた気がします。
私は心の中で思わずガッツポーズ
振り向いて定位置に戻る時もトップの連中も目でよし!のサイン。

確かにこの1曲で皆がリラックスしてくれたような感じがしました。
その後のステージもなかなかいい演奏が出来たと思います。
私は重責を果たしホッと胸をなでおろしました。ホッ

大学時代:グリー3年目、定期演奏会①

2007年01月15日 | 音楽のルーツ
コンクールも終わりホッとしているまもなくあと2ヶ月で定演です。

定演の曲目は
第1ステージ:黒人霊歌(正指揮)
第2ステージ:人間の歌(副指揮)
第3ステージ:ケルビーニのレクイエム(客演指揮)
第4ステージ:カムイの森で(正指揮)

定演は例年、正指揮者が2ステージ客指揮と副指揮が1ステージといった構成でした。

この年はコンクールに出場したため?定演は翌年の1月でした。
場所は札幌市民会館。
当日、やっぱり市民会館は広くて良いな~と、舞台袖から客の入りを気にしながら覗きながら思いました。
そして、リハーサルが終わり皆で楽屋へ引き上げるときだったでしょうか。

正指揮者が珍しく難しい顔をして私のところへ来ました。
そして、真剣な目でこういったのです。

「大丈夫だろうな。」
私は呆気にとられ、「はぁ~」とか言ったかどうか、多分引きつった笑いで生返事だったと思います。
すると、
「本当に、大丈夫だろうな。」
私:「は、はぁ~」
「今日は1曲目のお前のソロで決まるんだから。頼んだぞ!」
と、得意の体を震わせるポーズ。

プレッシャーをかけているのかリラックスさせようとしているのかよくわかりませんが、正直言って驚きました。
普段、こんなことを言われたことはありませんでした。
しかし、こんなことを言われてプレッシャーがかからない人間はいません。
「なんで、本番直前にこんなことを言うんだろう?逆に緊張しちゃうじゃんか」とちょっとむっとしましたが、もうジタバタしてもしょうがありません。

しかし、私で決まるといわれて、私もムラムラっと燃えるものがありました。プレッシャーもかなりきてましたが。。。
でも、もう練習は十分している。あとは歌うだけです。
指揮者は私を信頼して言ってくれたのだと思い直しました。

合唱コンクール:思い出の楽譜

2007年01月11日 | 音楽のルーツ
これは、高校・大学でコンクールに出場したときのレクイエムの楽譜です。
特に高校のときのモーツァルトのレクイエムは全国にいけなかったショックからその後しばらくトラウマになってしまうのですが。

この楽譜には卒業するときに先生と後輩たちが書いてくれた寄せ書きがあります。

途中から入部し、当初、練習もサボりがちだった私ですが、同じテナーの同窓生のLS君SS君という素晴らしい(あまりほめたくないが)友人のおかげでなんとか部に溶け込むことが出来ました。

一人一人、今読み返してみるとまたあの頃の感動や思い出が昨日の事のようによみがえってきます。うれしはずかし、まさに、思い出かいっぱい詰まった楽譜です。

大学時代:グリー3年目、因縁のコンクール出場

2007年01月10日 | 音楽のルーツ
大学の場合、普通は12月の定演に標準を併せて練習するので、その前にあるコンクールまで曲を完成させるのは難しい。要するに我々にとって一番大切なのは定演で、極端なことをいってしまえば定演が全てなのです。
さらに今年はその前にグリフェスもありました。
私の思い入れが強いこともありますが、コンクールに出るのにはやはり最高の状態で出るべきだと思ったのです。

この件は全員で何度か話し合いました。
他の団員でも高校の時に合唱をやっていてコンクールに賭けていた人はやはり同じ考えでした。中途半端な状態でコンクールにでるのは嫌だったのです。

しかし、みんなの1度コンクールに出て自分たちの評価を知りたい。という意見が強く、遂にコンクールに出場することが決定しました。

出るからには勝つ!私もこうなった以上そう思いましたし、多分皆そう思っていたはず!?それによってグリフェスや定演に影響を及ぼさなければ良いがと思いながら・・・

曲はケルビーニのレクイエム。
レクイエムには苦い想い出がありました。
そう、あの高校3年生のコンクールで歌ったのがモーツァルトのレクイエム。

そして、結果、今回は銀賞。
全国にはいけませんでしたが、一応面目は保った!?
しかし、私は満足のいく歌が歌えず、コンクールはもういいやと思うのでした。
団としても一応曲的には仕上げたものの決して完璧な状態での出場ではなかったはず。コンクールにたまにしか出ない大学としてはまずまずの出来だったかもしれませんが。。。

しかし、コンクールも一種の腕試しと考えれば、全国云々ではなくその雰囲気を楽しむという見方もあるのかもしれません。
そういう意味では、コンクールに対してものすごくナーバスになっている自分が嫌でした。
私の中でコンクールは完全にトラウマになっていました。

実はこの年、高校の後輩達は遂に全国行きのチケットを手にしました。
これは嬉しかったが、正直、やられたって感じでした。
あの悪夢のコンクールから3年、一緒に歌った後輩達はもう卒業していましたので、今一実感がなかったのかもしれません。
しかし、後輩達はその翌年も全国へ行き我が母校の黄金時代を築くことになるのでした。

大学時代、グリー3年目:演奏旅行そして因縁の・・・

2007年01月08日 | 音楽のルーツ
先日、5・6年ぶりにLS君と連絡をとり、2月に会う約束をしました。
いや~今から楽しみです。

さて、グリー3年目久々に再開です。

グリフェスも無事に終わり、私にとって2年越しの課題となっていた演奏旅行の季節になりました。今年は2泊3日という短期間で羽幌、遠軽方面で実施されました。
羽幌も遠軽もはじめて行く土地でしたが、海に面した小さな町でいいところでした。

自主トレは演奏旅行の最中も続けました。
夜、誰もいない部屋で1人で腹筋をやっていると1年生が入ってきて「先輩いつも運動してるんですか?」と少し驚いたような顔をして聞かれたことを覚えています。

この年の演奏旅行では3年目にして初めて最後まで歌いきることが出来、ようやく満足のいく内容となりました。
まあ、2泊3日の短い日程だったせいもありますが、またひとつハードルを越えて充実した1年になりそうな予感がしていました。
今回の演奏旅行でもやはり教育委員会のみなさんには、夜ジンギスカンパーティーを開いてもらったりお世話になりました。ビールが美味かった~
打ち上げも今年は例年より短かったせいか、多少は大人しかったようです。私は初めて満足いく演奏が出来て美酒に酔いしれました。初めて味わう演奏旅行での満足感でした。
その後旅館に戻ってからの方が悲惨だったとか・・・これは何となく覚えているような。。。

この年はグリフェスの外にもう一つ大きな行事がありました。
それはあの朝日コンクールでした。
今年は北海道大会が札幌であるので出てみようか、という話がグリーの中で持ち上がりました。しかし、私はコンクールの難しさも知っていましたので今一乗り気がしないのでした。

大学時代、グリー3年目:グリー・フェスティバル開催!

2006年12月26日 | 音楽のルーツ
さて、大学3年目、1980年です。

この年は団としても我々が主流にならなければいけない学年になりました。
そして新しい1年生が2人トップに入ってきました。
1人はなんと女性!(便宜上M子とします。)
この子がマネージャーになるわけですが、とても明るい子で入団以降、多々、我々の心を癒してくれる貴重な存在となるのでした。

この年は12月の定演の外に大きな行事が2つありました。
ひとつは前にも書きましたがグリフェスです。
時は6月、4年に一度のお祭りとはいえ各大学が一同に会し、しのぎを削るわけです。
どの大学もこの日のために練習を積んできました。
参加したのはH大、O大、R大そして我がグリーの4大学でした。
各大学でそれぞれ1ステージを持ち最後は全員での壮大な合同ステージ!確か「枯木と太陽の歌」だったと思います。この曲にはソロがあるのですが、これがまた超高音のソロで超人的な人にしか歌えないようなものでした。
男声合唱も100人を超えるとさすがに迫力があり、まずまず盛況のうちに幕を降ろしました。
我々の出来もこの時期にしては満足できるものでした。
自分のソロもこの時は色々と歌い方を試しながら、という状況ではありましたが、及第点を点けられたかなというところでした。

このときのエピソードがひとつあります。

私のソロは「黒人霊歌」の1曲目トップバッターだったのですが、なんと1曲目が終わったところで客席から拍手がおこったのです。
合唱の場合、拍手は1ステージが終わるまでしないのがマナーですのでステージの上でみんなちょっと驚きました。そんなことは初めてでしたし、ここに来る人でそんなマナーをを知らない人がいるとも思えません。(多分)
終わってから冗談半分に、お前のソロがよかったからか?と、いうヤツもました。
まあ、ちょっと長めの曲でしたので1ステージが終わったと思ったのかもしれません。
本当のところは分かりませんが、ちょっと嬉しいハプニングではありました。

この時点で私はいつの間にか先輩としての危機感から呪縛を解かれたように解放されていました。
私は周りに気をとられて自分の努力を忘れていたのかもしれません。いや多分フォークの方は熱心でも合唱の方は・・・それでいて、自分の実力はこんなものじゃないんだ、というおごりが知らない間に態度に表れていたのでしょう。
そんな私を皆は厳しくそして暖かく見ていてくれたのです。
合唱にとって必要なのは個人の歌の上手さではなく、合唱としての上手さ、つまりチームワークなのです。
一人の団員として一番大切なのは、上手い下手ではなく一生懸命な姿勢なのかもしれません。

Iアパートの思い出:S子ちゃん編

2006年12月18日 | 音楽のルーツ
私は末っ子だったせいか昔から妹が欲しかったのです。
だから、高校時代、大学と後輩はかわいくてしょうがありませんでした。あ、もちろん今でも。

K君の妹S子ちゃんは意外にも?さだまさしのファンで、意気投合し一緒にコンサートに行ったことがあります。
しかし、当日、彼女は風邪を引いてしまい。かなり熱が出ていて、もしかしたらいけないかもしれないとK君は言っていました。
当日は会場で待ち合わせたのですが、コンサートが始まっても彼女は来ません。
かわいそうに、風邪がひどいんだな~、せっかく楽しみにしてたのに。。。
と、隣の空いている席を見ながら私もなにかコンサートに身が入りません。

コンサートが始まってから2,30分経った頃だったでしょうか、なんとS子ちゃんはやってきました!
やはり普段の元気はありませんが、根性です。
「大丈夫?」と聞くと青白い顔でにっこり(無理に)笑って頷いてくれました。
でも、コンサートの間やはり彼女は苦しそうでちょっと心配でした。
何とかコンサートが終わり、私は彼女をアパートまで送っていきました。
2人で雪道を歩きながら色々と話したことを覚えています。

彼女はお兄さんの影響かどうかわかりませんが、料理も得意でした。

私は、2年から下宿を出て北24条駅に近いアパートで暮らし始めましたが、実は、同じ下宿だったT君から、お前もあまり下宿の飯を食ってないようだし、経済的だから共同生活をしないか?と誘われ、二つ返事で乗ったのでした。
T君も気さくな優しい男で結局、彼とはその後卒業するまで一緒に暮らしておりました。

S子ちゃんはこの我々のアパートにも1度ご飯を作りに来てくれたことがあります。
T君もS子ちゃんの手料理にすごく喜んでいました。
確かH君も一緒だったと思います。

本当に私はこのIアパートに良く通いました。
自分の下宿に帰るよりここに帰った方が多かった気がするぐらいです。

しかし、まさか、何年か後に本当にここに住むことになるとは。。。この頃は考えてもいませんでした。