よく公立学校の私学化,
あるいは,
公立が私学を越えるために,などという表現で,
昨今の新自由主義的な改革を捉える論評があるが,
大きな誤解である。
本来,私立学校は営利企業でない。
学校法人という法人格を有し,
公教育を行うのが私立学校である。
したがって,
学習指導要領に従った教育を行う義務があり,
都道府県の管理下にある(教育委員会の管理は受けない)。
公の性質を有しているのである。
経営は,
その学校を支える寄付,学納金,各種助成金で賄われている。
利潤を追求することはできない。
また,
学生生徒数が増加すれば,
経営が良好であると判断できるかというと
そうとも言えない。
規模が拡大すれば,
蓄積しておくべき基本金も増えるし,
また,規模の拡大は
その私立学校の「建学の理念」の
希薄化につながることが多いので
必ずしも
経営の拡大は好ましいことではない。
私立学校は,
その学校それぞれの適正規模で適正に運営していくことが
最も大切なことなのである。
このように考えると,
私立学校は本来,自由主義的競争の埒外にあるのである。
無論,少子化の流れのなかで,
少ない学生生徒を奪い合って競争しているかのように
見えることも否めないし,
また事実,競争好きな経営者のいる私立学校もあるが,
もともと私学それぞれの「建学の理念」によって
ターゲットとしている学生生徒層が異なるので,
他校と競合しないことが最も有利なのである。
したがって,競争は避けられるならば,
避けるのが望ましい。
それよりもむしろ,昨今,
本来私立学校が個々にもっている「建学の理念」を
失うことのほうを危惧しているのが実情である。
「建学の理念」こそが,私立学校の存立理由であり,
それを失ってまで学校を維持することに
何の意味も見出せないからである。
以上,述べてきたことからわかるように,
私立学校は,現在推進されている
公立学校の新自由主義的改革のモデルでは全くない。
改革を推進する公立学校は,
単に得体の知れない教育を目指しているだけである。
あるいは,
公立が私学を越えるために,などという表現で,
昨今の新自由主義的な改革を捉える論評があるが,
大きな誤解である。
本来,私立学校は営利企業でない。
学校法人という法人格を有し,
公教育を行うのが私立学校である。
したがって,
学習指導要領に従った教育を行う義務があり,
都道府県の管理下にある(教育委員会の管理は受けない)。
公の性質を有しているのである。
経営は,
その学校を支える寄付,学納金,各種助成金で賄われている。
利潤を追求することはできない。
また,
学生生徒数が増加すれば,
経営が良好であると判断できるかというと
そうとも言えない。
規模が拡大すれば,
蓄積しておくべき基本金も増えるし,
また,規模の拡大は
その私立学校の「建学の理念」の
希薄化につながることが多いので
必ずしも
経営の拡大は好ましいことではない。
私立学校は,
その学校それぞれの適正規模で適正に運営していくことが
最も大切なことなのである。
このように考えると,
私立学校は本来,自由主義的競争の埒外にあるのである。
無論,少子化の流れのなかで,
少ない学生生徒を奪い合って競争しているかのように
見えることも否めないし,
また事実,競争好きな経営者のいる私立学校もあるが,
もともと私学それぞれの「建学の理念」によって
ターゲットとしている学生生徒層が異なるので,
他校と競合しないことが最も有利なのである。
したがって,競争は避けられるならば,
避けるのが望ましい。
それよりもむしろ,昨今,
本来私立学校が個々にもっている「建学の理念」を
失うことのほうを危惧しているのが実情である。
「建学の理念」こそが,私立学校の存立理由であり,
それを失ってまで学校を維持することに
何の意味も見出せないからである。
以上,述べてきたことからわかるように,
私立学校は,現在推進されている
公立学校の新自由主義的改革のモデルでは全くない。
改革を推進する公立学校は,
単に得体の知れない教育を目指しているだけである。