学校教育を考える

混迷する教育現場で,
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問題解決学習への疑問

2011-12-03 | 教育
「問題解決学習」などというものに
本当に意味があるのだろうか?

「問題解決」ならば,人生これすべて「問題解決」の連続である。
子どもたちだって,子どもたちなりの「問題」に
日々直面しているはずであって,
それらを自分なりに「解決」しつつ成長しているのである。

なぜ「問題解決」を「学習」などに矮小化するのであろうか。
「学習」は,
人生における「問題解決」の手段にはなりうるかもしれないが,
「問題解決」にはてんで役に立たないものも多い。

もともと「学習」は「問題解決」を目的とはしていないから,
これは当然である。

わざわざ「問題解決学習」などと言わなくたって,
さまざまな環境の中で,家庭生活を営み,
学校で集団生活をし,授業以外に,特別活動をはじめとする
さまざまな活動を行っている子どもたちは,
十分に集団における「問題解決」の「体験」を積んでいくのである。

「問題解決学習」における「問題」は,
学習指導要領の下で行われる教育活動においては,
いわゆる問題集の「問題」のように
常に擬似的な「問題」にすぎず,
それが教室で扱われる限りにおいて,
人生の切実な問題や社会の現実に関わってはこない。

「問題解決学習」の名のもとで,
擬似的な「問題」を「解決」させる
矮小化された「学習」を積めば積むほど,
子どもたちは,「解決」の手段を見失うか,
または,
理想的かつ虚偽的な「解決」手段を
学んでしまうのではないか。

「問題解決学習」と称されているものは,
実は,「擬似問題擬似解決学習もどき」か,
もしくは「問題解決遊び」にすぎないのではないか。

深く危惧するのである。





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1 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
問題解決学習ではなく創造性の開発 (tsuguo-kodera)
2016-05-16 16:58:54
 この記事はとても素直に良く分かります。でもです。問題解決学習を創造性の開発と言う言葉で置き換えると、学校で学べる能力開発になるのかも。多分としておきます。断言するのはやめます。教育言説の一つですから。
 またもやでも、根幹の問題は管理人様も嫌いなはずの、言葉の使い方ではありませんか。文科省や教育界が好きな変な表現法だけなのでは。
 私は創造性開発と言えば可能なことだと思えます。能力によらず、教職をとれる人なら容易でしょう。人の能力を信じていないような教育界が変のように私には思えます。
 誰でもできるのです。信じたら。私をですが。まるで宗教ですね。南無阿弥陀仏。私は無神教。
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