授業者が,自らの授業を振り返るために
学習者の意見を聴取することはもちろん大切なことである。
そんなことなら,心ある授業者ならば,
大昔からやっていたし,
授業のなかでの学習者とのコミュニケーションを通じても
日々,授業というものは修正されていくものである。
ただし,昨今流行の「授業評価アンケート」は愚劣である。
生徒や学生に,どの授業も一律の質問紙とアンケート用紙を配って
集計するというあのアンケートである。
もしも,私が生徒や学生であった時代に
このようなアンケートが行われたら,
すいぶん当惑したことだろう。
私は,
教師を評価するなどというおこがましいことを
しようなどとは思わない世代に属する。
むしろ,「三尺下がって師の影を踏まず」と
言われるほうがしっくりくる。
私には恩師として敬愛する先生がいる。
その先生の評価を,
マークシートに記入するなどという浅ましいことを
考えただけでもぞっとする。
純粋な師弟関係は,
評価などを超越したところにある。
授業評価アンケートは,
そのような師弟関係が育まれる土壌を
まったく破壊するという意味においてのみ有効である。
思うに,
このようなものに価値ありとする文化には,
「師」は存在しないのであろう。
学習者の意見を聴取することはもちろん大切なことである。
そんなことなら,心ある授業者ならば,
大昔からやっていたし,
授業のなかでの学習者とのコミュニケーションを通じても
日々,授業というものは修正されていくものである。
ただし,昨今流行の「授業評価アンケート」は愚劣である。
生徒や学生に,どの授業も一律の質問紙とアンケート用紙を配って
集計するというあのアンケートである。
もしも,私が生徒や学生であった時代に
このようなアンケートが行われたら,
すいぶん当惑したことだろう。
私は,
教師を評価するなどというおこがましいことを
しようなどとは思わない世代に属する。
むしろ,「三尺下がって師の影を踏まず」と
言われるほうがしっくりくる。
私には恩師として敬愛する先生がいる。
その先生の評価を,
マークシートに記入するなどという浅ましいことを
考えただけでもぞっとする。
純粋な師弟関係は,
評価などを超越したところにある。
授業評価アンケートは,
そのような師弟関係が育まれる土壌を
まったく破壊するという意味においてのみ有効である。
思うに,
このようなものに価値ありとする文化には,
「師」は存在しないのであろう。
教育をしているのは、あなた方と同じ人間です。
親評価アンケートやったらどうか。
「かつての時代はよくわかっていた」根拠はどこにあるのでしょうか?
かつては不満を言えない子どもと保護者は現在とは比較にならないほどたくさんいたはずです。
不満を言えないのは、学校を崩壊させている原因が、同級生などにあるということもあるのですが、授業を成立させることができない教師への不満もたいへんなものでした。
実際に学校や教育委員会に問題を訴える人というのは、氷山の一角なのです。
現在でも、問題が表面化して、処分されるレベルまで達する教師ですらたくさんいるわけですから、「それは他人事」という態度ではなかなかいられません。
「学校教育をより劣化させている」という文言がございますが、「学校教育が劣化している原因」は、子どもと親のせいなのですか?
そして子どもと親がさらにその劣化に拍車をかけていると?
そこまで教師の側に都合のよい論理を展開する理由は何なのでしょうか。
公立学校の教師が、「良い教師も悪い教師もいるが、それは運命だ」と公言できてしまう背景はどこにあるのでしょうか。
「宣伝」や「評判」、掲げている「教育課程」という看板と実態が異なるところは、評価に基づいて改善する必要がでてきます。