チャールズ・モーガンの小説『泉』は、ほかならぬ高田博厚さんが読むことを薦めているものであり、この小説のぼくにとっての意味は、このなかの主人公が高田さんと同様の資質の瞑想的な孤独者であるにもかかわらず、その瞑想的資質の完成のためにこそ、具体的な女性への愛に生きることを必要としたことを、ぼくに証してくれていることにある。 この小説を知るに先んじて、ぼく自身が、この必要な愛を、同様の孤独者として、この孤独を否定したり放棄したりすることなく、生きてきたのだから。 この小説は、ぼく自身の真実の確証となった。
純粋な瞑想者にも、具体的な愛がなぜ必要か、これをはっきり解き明かしてくれた――ぼくの経験を映すように――この「哲学者小説」は、およそぼくの存在と離せない決定的な「人間の証言」となった。 このような読書経験は、後にも先にもない。