高田博厚 芸術論
日課と、高田博厚の勉強を両立させることを始めよう。
「抽象美」を再読。『もう一つの眼』51-54頁
感銘を受けてマーカーをつける。
『人間は、自分が「感覚」すること自体がすでに抽象なのである。・・・「もの」(対象、即ち「自然」)に触れ、「自分」に感覚することが抽象であり、だから自分の感覚を直接、純粋にするためには「もの」を熟視しなければならない。そして「感覚」することが「形」の表現に至るまでには、さまざまの段階を経てゆく―・・・「もの」に触れて得る「最初の印象」を、仕上げの際にそのまま生かし得れば、すでに大家であろう。「制作」はそう簡単には行かない。反省し、見直し、描き直し、もたつき、始末におえない泥沼に足を奪われ、そこから何とかしてはい上ろうとする。これが「創作」なのだ!』
「形そのもの」が「思想」であろうとする、これが「抽象美」の意味であり、一元化の意味である。