【視点】フランスの歴史家 米国がEUで復活したファシズムを擁護する理由について語る
2023年5月11日, 16:00
© Sputnik / Алексей Витвицкий
スプートニク 通信
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米国は崩壊しつつある世界支配を維持するために、ヨーロッパ大陸でファシズムを育てており、米政権の独裁下で生きることを望まない国を排除する道具としてファシズムを使っている。フランスの軍事史家ルネ・バルキ氏が、スプートニクに対してこのように語った。
過去のファシズム
バルキ氏によると、第二次世界大戦の歴史に興味を持ったのは、父親がフランスのレジスタンスに参加していたからだという。同氏は研究の過程で、ファシスト政権の発足時の資金源を発見した。同氏は、「ファシズムが勢いを増したのは、当時の西ヨーロッパと米国の主要な資本家グループによる全面的な資金援助があったからだ。資産家らは、1917年のロシア革命後、14カ国が介入しても破壊できなかった若いソ連勢力と戦うための政治的・軍事的な『道具』を必要としていた」と説明している。
しかし、大西洋の両岸に住む大資本家が助けたにもかかわらず、ファシズムは第二次世界大戦で大敗を喫したとバルキ氏は指摘している。そして、「ソ連国民の計り知れない犠牲によって」ファシズムは敗北したと同氏はみている。
現在のファシズム
バルキ氏は、「我々はファシズムが終わったと思っていたが、今日、ファシズムが再び頭をもたげている。今回は、米国を中心とする国家グループが直接支援している。彼らは、多極化する世界において世界の覇権を失いつつある。新しい世界のリーダーは、我々の目の前で生まれつつある。それがロシアと中国の同盟であり、BRICSである」と述べている。
バルサ氏によれば、西側グループがファシズム化している現時点での特徴は、敵について記したリスト表が増えている点だという。同氏は「今回の干渉は、もはや一国に対してではなく、帝国的独裁の米国とその軍事手段である北大西洋条約機構(NATO)からの解放を望む世界のあらゆる地域に対して行われている。世界は変わったが、西側諸国はそれを聞こうとしない。米国と欧州連合(EU)は、世界を支配する最も野蛮な強制システムであるファシズムを復活させようとしている」と語っている。
バルサ氏によれば、ウクライナでロシアがNATOに勝利すれば、一極世界と米国が押しつける支配に終止符が打たれ、ファシズムを止めることができるという。また、中国が経済成長を続け、世界の基軸通貨であるドルとの戦いを続ければ、多極化する世界に大きく貢献できると同氏は述べている。
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米国が全面的にロシア嫌悪を支持しているとは言えない=露ザハロワ報道官 米上院議員の発言に言及
2023年5月29日, 11:09 (更新: 2023年5月30日, 01:36)
© Press service of The Ministry of Foreign Affairs of the Russian Federation
ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、一般の米国人は自国の政府関係者がどんな発言をしているのか何も知らないため、すべての米国人が完全にロシア嫌悪を支持しているとは言えないと述べた。
テレビ局「ロシア1」の番組に出演したザハロワ氏は、リンゼー・グラム米上院議員がウクライナ支援の一環として米当局が支出した資金が「最も成功した」使われ方をした結果、ロシア人が「死亡」していると発言したこと、これに続いてブッシュ元米大統領が、ウクライナの任務は「できるだけ多くのロシア人を殺すこと」だと発言したことに言及した。
「では、米国全土がそうなのだろうか?いや、全土ではない。そういう人たちがいるのだ。日常生活を送っている米国民は、自らが投票した人たちが自分たちに代わって何を言っているのか何も知らないどころか、思い浮かぶこともない」
ザハロワ氏によれば、グラム氏の排外主義的な発言が、仮にヒスパニック、アフリカ系アメリカ人、アフリカ人、アジア人などのマイノリティに関するものであれば、米国民は「翌日には取り上げていただろう。」
ザハロワ氏は、米国の政治家がロシア人を殺すという発言を繰り返すことは、「行動への指針」となると強調。以下のように締めくくった。
「これは米国のディープ・ステート(闇の政府)の精神性の一部だ。これが今、行動への指針となっている」
(その「精神性」でアメリカはインディアンや日本人などをずっと殺戮してきた。気に喰わないというだけで、アメリカ人には、相手を現実に殺すに充分な動機なのだ。そういう、理解できない気質をもっている。アメリカは、その精神が国民の気質になっていることを、ぼくは、政治のことなど何も知らない無知な大学入学生の頃、経験している。ぼくはこれを詳しく言わないが、それは、アメリカ人の前では多分誰も本来の自分らしくあることは出来ず、その圧倒的な他者規定性が、経験を具体的に記すことによって現前することが、ぼくにとって迷惑だからだ。そのくらいの強い原経験をぼくは以前、日常のなかでしている。)